私の「マイノリティー性」が「うらやましい」と言われた違和感から考えたこと
多様性、マイノリティー、個性、多様性、マイノリティー、個性!! 今日世界で叫ばれている言葉たちトップスリーだ。多様性とマイノリティーの前にはそれぞれジェンダー、人種や社会構造などの言葉が置かれることも多いだろう。そんな言葉たちを入れ替えた幾ばくものパターンの文言で世界は溢れ返っている。 【写真】私が「美しい」ですか? “褐色肌、金髪、青い眼”のモデルが問う つい先日わたしはタクシー5台連続で乗せてもらえなかった。そのことは久しぶりに自分を怒らせInstagramでライブ配信まですることで昇華させた。タクシーが止まらないことは「ガイジン」である自分にとって日常茶飯事だ。パートナーは偶然にもミックスであるため、2人でいると冗談抜きで3回に一度はタクシーが止まらない。 初めは自分の気にしすぎで、勘違いだと思ってきた。それでも対策として、髪の毛を隠すためにフードをしたり、日本人の友達がいる時はその子を前にしてタクシーを止めていた。だがそんな工夫をしている中でも一度、日本人の友人が止めたタクシーに私たち「ガイジン」カップルが乗り込もうとした瞬間、断りもなく走り去られた経験がある。 私の日本人の友人はそのショックに泣いていた。「シャラの話には聞いてたけど実際に経験するとこんなにもきついんだ」ってことに泣いてくれていた。私はわたしのような存在のせいで、友人に泣かせるほどのショックを与える経験をさせてしまうことに、自分を情けなく思った。差別したい人はすればいいと思う。ただ都内に生きるものとして、タクシーだけは本当に困る。これだけはどうにかしてほしいと小池百合子都知事に伝えたい。 覚えておいてほしい、マイノリティーとはそういう存在だ。そんな「マイノリティー」であることは今現在の社会では「個性」であり、「多様性」の象徴となる名刺、というよりもはや勲章のような存在として扱われていると近頃感じる。そして私がこの時代に「マイノリティー」と社会にカテゴライズされる存在であることは、なんと幸せなことだろうか? これまでの私のインタビューや文章を読まれてもしかしたら知っている読者もいるかもしれない。改めてここに記させていただくと、私は幼い頃に親の仕事の都合で東京に来た移民だ。日本には韓国や中国などアジア系にルーツを持つ移民は馴染んでいるかもしれない。だが私のルーツはバングラデッシュという南アジアの発展途上国で、多くの日本人とは容姿からして全く違うため、移民であることは隠せない。日本での認知度は低いが、実は南アジア系の人種の肌の色は様々だ。しかし私はその中でもダークトーンで、世界中の人が想像する、いわゆるインド系の「ブラウン」と呼ばれる。耳で聞いても目で見てもわかる有色人種の、しかも女性だ。アメリカの黒人の権利のための運動だった有名なBLMの範囲からは当然とりこぼれている。 これらの情報だけでも強固なマイノリティー性は伝わると思うが、加えると北区王子という下町の公立の教育機関で学び、父は幼い頃亡くなっているため母子家庭で育ったと言ったバックグラウンドがある。それに日本で育ち、日本語が第一言語と言える南アジア系なんて圧倒的に少ない。もし私が宗主国だったイギリスのロンドンなどに渡っていれば一定の同じ属性の仲間を獲得することができる移民だったかもしれない。マイノリティーのトリプルどころじゃないコンボに次ぐコンボで、マイノリティー界のスターとも言えるのではないかとさえ思う。