<dogS ~ 仲良き事は美しき哉 ~>#3 犬同士の自由を保証する「空間」と「自己責任」の文化
「自由」の前提は「自己責任」
日本にもこういう場所を、と思うが、当面は無理であろう。人口密度も土地の広さも違うし、まず「文化」がない。いくら「犬専用」と場所を区切ったとしても、前提に「自己責任」がなければ、そこにいる全ての犬にとっての「自由な空間」とはなり得ない。 ヨーロッパの人は「子供と犬の躾ではドイツ人には叶わない」と言うが、それは事実であろう。しかし、当然だが、全ての犬が完璧に躾けられているわけではない。こうした光景が現実になっているのは、実際にはノーリードでは不安だったり、他の犬や人に攻撃性を示す可能性がある犬はむやみに「Lauf!」されていない、逆に言えば自信のある飼い主だけが犬を解き放っているからにほかならない。 2頭のPON(ポーリッシュ・ローランド・シープドッグ)とゴールデン・レトリーバーの飼い主のアネッテさんは、PONのうちの1頭は「散歩中にウサギや小動物を見つけるとどこまでも追いかけていく。だから、彼女のリードはめったに外さない」と言った。首都・ベルリンの繁華街でノーリードの犬もいれば、広大な田園風景の中でリードを放さない人もいる。それが「自己責任」が根付いた社会なのだ。
日本では犬の自由を保証する物理的な空間も足りないが、最後の写真は、僕が移住した先の蓼科の風景だ。うちのフレンチ・ブルドッグたちが、こういう広い空間で「犬らしく」佇む様子が見たかった。だから僕は、わざわざ田舎で不便な生活をしているのかも知れない。
■内村コースケ(うちむら・こーすけ) ミャンマー生まれ、カナダ・イギリス育ち。新聞記者・社員カメラマンを経てフリー。写真も撮れて「書ける」フォトジャーナリストとして活躍。2003年に2頭のフレンチ・ブルドッグと暮らし始めてから、犬雑誌でのフォトエッセイの連載やペット関連のフリーペーパーの編集、アイメイト(盲導犬)関連の取材・撮影など、活動の中心が「犬」になっている。【ブログ「写像的空間」】