「天皇をつかえ」…終戦のときイギリスの「チャーチル」が、アメリカに伝えた「意外なメッセージ」
自分たちに都合のいい主観的な歴史
いま読み返してみても、じつにあざやかな書き出しだったと思います。 私も『戦後史の正体』の編集を担当するまでは、「降伏文書」や「ポツダム宣言」について、もちろん一度も読んだことがありませんでした。孫崎氏が教授を務めた防衛大学校でも、とくに「降伏文書」は授業でほとんど教えられていなかったそうですから、おそらく普通の日本人は誰も読んだことがないといっていいでしょう。 けれども、敗戦にあたって日本がどういう法的義務を受け入れたかを書いた「ポツダム宣言」と「降伏文書」は、もちろんその後の日本にとって、なにより重要な国家としてのスタートラインであるはずです。 にもかかわらず、「戦後日本」という国はそうやって、その出発時点(8月15日)から国際法の世界を見ようとせず、ただ自分たちに都合のいい主観的な歴史だけを見て、これまで過ごしてきてしまったのです。 もっとも、もちろんそれは戦勝国であるアメリカにとってもそのほうが、都合がよかったからでもありました。もしそうでなければ、そんな勝手な解釈が許されるはずがありません。 歴史をひも解いてみると、「降伏という厳しい現実」を日本人に骨身に沁みてわからせる別のオプションのほうが、実行される可能性は、はるかに高かったのです。 それは昭和天皇自身がミズーリ号の艦上で、自ら降伏文書にサインをするというオプションでした。
天皇自身による降伏の表明
考えてみると、日本は天皇の名のもとに戦争をはじめ、また天皇は憲法上、講和を行う権限も持っていたわけですから(大日本帝国憲法・第13条)、降伏するにあたっても、本来天皇が降伏文書にサインするのが当然のなりゆきでした。 事実、ミズーリ号の調印式の7ヵ月前、1945年2月時点のアメリカの政策文書では、日本の降伏文書には昭和天皇自身がサインし、さらにそのとき、次のような宣言を行うことが想定されていたのです。
日本国天皇の宣言
「私はここに、日本と交戦中の連合国に対して、無条件降伏することを宣言する。 私は、どの地域にいるかを問わず、すべての日本国の軍隊および日本国民に対し、ただちに敵対行為を中止し、以後、連合国軍最高司令官の求めるすべての要求にしたがうよう命令する。(略) 私は本日以後、そのすべての権力と権限を、連合国軍最高司令官に委ねる」 (国務・陸軍・海軍三省調整委員会(SWNCC)文書21「日本の無条件降伏」)