「オクサン、ゲンキデスカ?」 起源は中日…マルティネスにつらなる“助っ人”捕手の系譜【愛すべき助っ人たち】
捕手から投手に転向した変わり種も
まだ本拠地を川崎に置いていた時代のロッテで捕手として出場したこともあるマイク・ディアズについては、この連載でも紹介した。2018年に育成選手として中日と契約したアリエル・マルティネスは捕手ということで話題となり、23年からは日本ハムへ移籍して活躍を続けているが、現在進行形ながら、これは異例のことだ。ディアズもマルティネスも他のポジションでの出場も多く、捕手の専任となると、さらにケースは少なくなる。 【選手データ】アリエル・マルティネス プロフィール・通算成績・試合速報 とはいえ、その歴史は古い。起源はプロ野球が始まった1年目の中日(当時は名古屋)にさかのぼる。もちろん、まだ外国人枠など存在しなかった時代だが、名古屋は外国人選手の獲得に熱心で、1年目から3人の選手を入団させた。そのうちの1人が捕手のバッキー・ハリス。ただ、ハリスは1年でイーグルスへ移籍して、2シーズン制となった翌37年の秋季にはMVPに輝いている。南海(現在のソフトバンク)で三冠王となった野村克也で知られる“ささやき戦術”も駆使したといわれ、片言の日本語で「オクサン、ゲンキデスカ?」などと言われたら、どうにも闘志が萎えてきそうだ。いつも鼻歌で「ももたろう」を歌っていたというエピソードも伝わり、陽気な性格もあってファンの人気も高かったという。 2リーグ時代に入り、1950年代が捕手の助っ人たちの最盛期だったかもしれない。巨人にはハワイ出身で日系人の広田順がいたが、この時期はハワイ出身の選手たちも全盛期だった。50年に最初の日本一となった毎日(現在のロッテ)へ、54年に入団したチャーリー・ルイスもハワイ出身の捕手で、2年のみの在籍だったが、2年連続でベストナインとなっている。59年に近鉄へ入団したのがロン・ボトラ。ただ、1年目こそは投手のグレン・ミケンズとバッテリーを組んだが、強肩を買われて2年目からは投手に。61年までプレーして、打者としては9本塁打、投手としては6勝を残している。 だが、その後は助っ人の捕手は激減。ディアズがマスクをかぶったのは15試合のみだが、それだけでも話題性としては十分という貴重な存在になっている。 写真=BBM
週刊ベースボール