「同じジムにシュワちゃん」女性ボディビル界のレジェンドに聞いたストイック生活と意外な現在地
「曲は自分で探しました。あるとき日焼けサロンで耳にしたマイアミサウンドマシーンの曲をテーマソングに決め、それに合うポーズをつくって。部屋に畳1畳ほどある大きな姿見を3枚張りつけて、いろいろ試していきました」 誰より身体を仕上げた。結果、「インターナショナル・ウーマンズ・アマチュア・ボディビル大会」で優勝。続いて3週間後にハワイで開催された「ハワイアンインターナショナル・アマチュア・ボディビル大会」に出場し、総合優勝をつかむ。 これらの実績を踏まえ、プロと認定された。1989年、日本初の女性プロボディビルダーの誕生だ。 プロ認定後は、年に1回アメリカに渡り、大会に出場した。1993年にはボディビル界最高峰のプロコンテスト「ミスオリンピア」にも出場を果たす。しかし、プロ転身後は賞には恵まれず。やはりアメリカは薬物が蔓延し、それが大きな壁となって横たわる。 「現役引退の2年くらい前に膝の手術をしたんです。膝が痛くてトレーニングができず、手術をしても治りきらなくて」 引退後はトレーナーとして活躍。スポーツ専門学校の講師やゴールドジムの公認パーソナルトレーナー、スタジオのグループワークアウトをして指導に力を注ぐ。 しかし、コロナ禍を機に、離職。すると驚くことに、画家に転身している。 「引退をしたあと趣味がないのは寂しいと思って。何か趣味になるものをと思って、デザイナーの基礎があるので、絵を始めようと習い始めました」 絵画教室で油絵を学ぶうち、講師から太鼓判を押され、独立。現在は自宅でアクリル画を教え、個展も開催している。 「教えるのは楽しいですね」と飯島さん。セカンドキャリアは充実しているようだ。 「人に何かを教えること、自分の知識を与えるのは好き。向いてるのかなって思う。それはボディビルのころと同じ。明日は絵描きのクラスがあると思うと、すごく楽しくて。生徒さんが1人でも2人でも絵を続けてくれたらうれしい。それが今の楽しみですね」 取材・文/小野寺悦子 撮影/近藤陽介(インタビュー)