「名前から何から、その人物になりすますんだよ」…移民が制限されていた国に中国人を潜り込ませた驚愕のやり口とは
書類上の家族
「香港の入国管理事務所は、そういう事柄をしつこく尋ねてくるんだよ。こっちに着いても、また同じように質問攻めでね。だからこういう情報を丸暗記して正しい答えを言えるようにしておかなければならなかったんだ」 私の父も、いわばペーパー・サンの形でカナダにやってきた口だ。親族や家族ぐるみで付き合いのある人たちからは、自分の父親が違う名前で呼ばれていたことが長年の謎だった。後でわかったのだが、父の出生証明書は戦争中に消失していた。そこで、海外に出るためにパスポートを申請する際、幼くして亡くなった兄になりすましたのである。 ジムの記憶によれば、カナディアンパシフィック汽船が運航するエンプレス・オブ・ロシアという汽船で香港からバンクーバーまで移動したという。ときは1939年9月。ジムの乗った汽船がホノルルでドック入りしていたころ、カナダがドイツに宣戦布告をした。ジムによれば、汽船は太平洋でドイツの潜水艦2隻に追跡されていたという。 ジムが当時の足取りの記憶をたどっているうちに、弟と姉も一緒だったと明かした。姉は一足先にカナダ在住の身分になっていて、渡航中にABCを教えてくれたという。だが、3人の関係に関する記憶は曖昧だ。その「姉」という人物は、ジムの“ペーパー・ファーザー(書類上の父)”から見て、実の娘だったのか。「弟」という人物は、ジムと同じように村から出てきたペーパー・サンだったのか。それとも実の弟だったのか。ジムは詳しくを語りたがらない。恐らく自分でもよくわからないのだろう。 バンクーバー到着後、ジムは列車でサスカチュワン州ムースジョーに移動し、そこからアウトルックにやってきた。その鉄道こそ、60年前に中国人労働者たちが建設に携わった鉄道である。身分を偽り、偽名で入国した不法移民の立場ゆえ、途中でどこかに滞在するつもりはなかった。 「滞在中に誰かに怪しまれたら、当局に通報されかねないからね。誰にも知られたくなかったんだ」
関 卓中(映像作家)/斎藤 栄一郎(翻訳家・ジャーナリスト)