「竹製〝しょいかご〟じゃなければダメだ」というお客さんも 割って編んで、兄弟で制作
「イーハトヴは一つの地名である」「ドリームランドとしての日本岩手県である」。詩人・宮沢賢治が愛し、独自の信仰や北方文化、民俗芸能が根強く残る岩手の日常を、朝日新聞の三浦英之記者が描きます。 【画像】昭和の時代は飛ぶように売れた…竹製「しょいかご」はこちら
朝市でいまも使われる竹かご
シンと静まりかえった15畳ほどの作業場に、兄弟が無言で腰掛けている。 兄の上平福也さん(71)が、ナタを使って青竹からスルスルと無数の竹ひごを作り出す。弟の敬さん(65)はそれを受け取り、手際良くカゴ状に編み込んでいく。 岩手県一戸町の「上平(かみたいら)竹細工店」。 兄弟が作っているのは、朝市などでいまも使われている竹製の「しょいかご」だ。
均一に削れるようになるまで3年
竹細工は竹割りから始まる。 長さ約8メートルの竹を縦に4分割し、ナタで徐々に細くした後、節を削って、幅約5ミリ、厚さ約1.5ミリの竹ひごへと仕上げていく。 「一見、編む方が難しそうに見えますが、実は竹を割る方が難しいのです。太さや厚さが一律でないと、きれいなカゴには編めないから」 弟の敬さんに褒められて、兄の福也さんが照れて笑った。 「均一に削れるようになって一人前。うまく削れるまでに3年かかりました」
先代から受け継いだ竹細工の世界
店は先代の父が始めた。港町である青森県八戸市に修業に出て、しょいかご作りを学んだ。 一戸町に店を開いたのは1956年。 福也さんは中学卒業後に家業を継ぎ、敬さんはすし職人になった後、十数年前に竹細工の世界に戻った。 昭和の時代、しょいかごは飛ぶように売れた。 農家や漁師は竹製のカゴやザルを使って魚やワカメ、農作物を市場へと運んだ。
八戸の朝市に行くと今も…
時代は変わり、市場で使われるカゴやザルはいま、ほとんどがプラスチック製品になった。 漁師は魚を発泡スチロールの容器に入れて、車に積んで市場へと運ぶ。 それでも、軽くて丈夫な日本古来の竹製品の魅力が再発見され、都内の有名デパートなどからの注文が絶えない。 弟の敬さんが言う。 「プラスチック製品を自粛する社会的な流れの中で、竹の良さを見直してもらえれば」 それを聞いて、兄の福也さんが笑う。 「実際、八戸の朝市なんかに行くと、まだ『竹製のしょいかごじゃなければダメだ』なんていう人がいるんだよね。そういうお客さんのために、うちらはいまも竹かご作りしているわけさ」 (2022年9月取材) <三浦英之:2000年に朝日新聞に入社後、宮城・南三陸駐在や福島・南相馬支局員として東日本大震災の取材を続ける。書籍『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で開高健ノンフィクション賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で小学館ノンフィクション大賞、『太陽の子 日本がアフリカに置き去りにした秘密』で山本美香記念国際ジャーナリスト賞と新潮ドキュメント賞を受賞。withnewsの連載「帰れない村(https://withnews.jp/articles/series/90/1)」 では2021 LINEジャーナリズム賞を受賞した>