ヒトと人工知能とが共進化した先にある“世界”を考える 「ニューロテック」の未来について
■BMI=脳と機械のインターフェース?
ここまで、AIの進歩に伴って人間が享受しうることの一つに、脳の「進化」という可能性があること。そしてその駆動要因の核となる技術が、BMIのような脳とデジタルを繋ぐ技術になるかもしれないという論を展開してきた。 ここで、BMIの定義に注目してみよう。欧米のニューロテック界隈では侵襲型/非侵襲型のそれらはほぼ別の分野かというほど棲み分けられた価値観が浸透している。しかし、いずれにしても「BMI」という語の直訳である“脳と機械のインターフェース”が、広く認められている定義である。 しかし、神経デコーディングの権威であるATR研究所・神谷先生は「BMI 研究はなぜ同じ失敗を繰り返すのか(日本BMI研究会, 2021.11.5)」において、この定義を新たな切り口で捉え直している。 ■「脳内にコードされている世界モデルの外在化」としてのBMI この資料において、特に面白いと思ったポイントは、原子・分子や自然の階層構造などにより構成される「物理的世界」に対し、ニューロンとスパイク/神経ネットワーク/局所・遠隔コネクションなど、脳は世界を独特な方法でコードしており、この「脳内世界モデル(内部モデルとも言われる)」を外在化・共有 、すなわちデコーディングやモデリングするテクノロジーとしてBMIを再定義しようと提唱されている箇所だ。 この神谷先生の素晴らしいスライドは、BMI研究に関わる全ての人にとって必読ともいえる資料であり、先生ならではの痛快な切り込み方は思わず口真似をしたくなるほど。 たしかに、臨床応用への需要(てんかんの治療の為に臨床脳波が発展したように)から生まれたBMIのような技術は、機能代替やProsthetic(義肢などの人工装具)的な側面が強調されており、基本的に「マイナスを0にする」という、まさしく臨床医学的な価値観で語られることが多い。 これによって、よくよく考えてみれば当たり前のことである、物理的世界と頭蓋に閉じ込められた脳をつなぐ身体性というチャンネルの他に、「身体性を介さない形で脳内表現をデコードするチャンネル」を開設する技術がBMIである、という事実を見えづらくしてしまっているのではないだろうか。 ちなみに、この脳内世界モデルについての有名な理論の一つに、AIの世界モデルとは別に、神経科学者・Jeff Hawkins氏が提唱している「1000の脳理論」があるが、こちらも個人的にかなり面白かったので、ぜひ参照いただきたい。 このような文脈でBMIを捉え直してみると、現在の「前できたこと・障がいをできるようにする・治療する」という方向性だけでなく、「ヒト史上今までできなかったことをできるようにする」という新たな可能性が開けてくるのではないだろうか。 これこそ、BMI技術の発展先として健常者も視野に入れている(とほぼ確実に思われる)イーロン・マスク氏の目指している方向性であると思う。 では、健常者への応用が可能となった未来を考察するにあたり、ニューロテクノロジーに思想的な意味づけを与えてみよう。 ニューロテックの思想 「そもそも健常者で広まるのか」 〈出典:https://www.youtube.com/watch?v=z7o39CzHgug〉 この問題については、「神経法学」や「神経倫理」などの学問があるように社会文化、法制度、現代倫理とも関わる複雑なオープンクエスチョンだ。また安全性など、技術的側面も大いに関わる。 筆者自身の見解としては、かなり楽観的な方だ。そもそも「広まること」をどう定義するかに依ると考えている。 たとえば非侵襲BMIだと、医療用脳波デバイスが全国の半数以上の病院で導入されている社会、またより安価な脳波デバイスでヘルスケア・エンタメ領域で現在の細々とした売上を立てている人達にとっては、街中とか車内で脳波デバイスを着けてる人を見かけても特段不思議ではない、みたいな社会にできればまず上々で、これは「広めた」ことになるだろう。 無論、そういう人達はヘッドフォン・イヤフォン型など脳波以外のモダリティも計測できるデバイスを開発していくと思うので、厳密には、用途に応じた“脳情報”の活用が浸透していくと思われる。 なので、ここではより難易度の高い「侵襲ニューロテック」や「侵襲BMI」が健常者にも広まるのかどうかについて議論したい。 これについてはやはり、安全性・コストの問題がある程度解決されないとむずかしいだろう。しかし、イーロン・マスク氏がNeuralinkの事例で示してくれたように、巨大資本の一点投下によって“アカデミアの果実”を存分に使いつつ、ラボでは解決できないこと(完全ワイヤレス化など)をヒト・カネの力で解決していくスタイルが当分は功を奏していくだろう。 そして、50年後・100年後を考えた時には、ヒトの社会的様態・在り方そのものも大いに変わっていくことは必定と言える。現に、脳以外の身体部位への埋め込みデバイス、人体のヒューマノイド化などの物質的な変容にくわえ、AI・ITの凄まじい社会への浸透によりヒトの生活とデジタル空間は融合しつつある。 この物質的・精神的変容の方向性は、幸いなことにニューロテックの思想と見事に相性が良い。 我々がスマホのアプリを愛しているように、BMI・Neuromodulation(※)を始めとするニューロテックで可能となる「アプリ的機能」が増えていくにしたがって、また現代人が生まれた瞬間から刷り込まれているバイアス・価値観が常に更新されていくにつれて、侵襲型のニューロテックに対する抵抗感は間違いなく薄らいでいくだろう(もちろん、これは割合についての話であり、全ての社会がそうなるとは限らないが)。 (※Neuromodulation:神経変調療法。電気や磁気などによって神経の働きを調節=モジュレーションする技術) ■「ヒト」のあり方を変容させた破壊的イノベーション「スマートフォン」 ここで、スマホという破壊的イノベーションの好例を振り返ってみよう。ほとんどのヒトはその小さな箱を我が子のように大切にしているが、これは人間知性のあり方についても“破壊的な変容”をもたらした、というのが筆者の考えだ。 スマホと、スマホを使っている人間というエージェントがいる系を考えてみよう。大体の場合は人間の手・視覚(聴覚)・注意がスマホに拘束されているはずだ。 インターネットと即座に繋がれるその人間が、裸でどこかの草むらに放り出された時の無力感を想像してみると、如何に現代の人びとがスマホ(を介したインターネット)という外部知能に依存しているかわかるだろう。現代人はインターネットによってすでに拡張された知能を持っていると言えるのだ。 スマホの登場以前・以後と比べてみると、ヒトの在り方は破壊的に変わっている事がわかる。 これと同じことが未来に起こりうるとしたら、それは一体我々の何を変容させるだろうか。一つはヒトの移動、つまり空間的自由度は大いに変わりそうだ(宇宙、海中、空、地上でも)。 そして、生身のヒトが経験する世界も大いに変わるだろう。この「経験」というのは、分解して考えれば感性・知覚・感情などの組み合わせである。ヒトが認知する世界がVR/AR空間、そして神谷先生の言う「ニューロバース」へと拡張されていく。その先の未来において、身体性を介さない形でヒトの脳とデジタル空間が直接的に繋がることが可能となった暁には、まさに“想像のつかない能力”が創発する可能性は多分にある。 ■カギとなるのは「予測不可能性」 ここで、現在の(スマートフォンやPCを介した)間接的なデジタルとの接続と、ヒトの脳とデジタル空間が直接的に繋がったときの違いを考えてみる。そのひとつとして、スマホに拘束されている限り、インターネットという「計算可能な空間」の中でしか人間は振る舞うことができないことではないだろうか、という点(SNSのコンテンツ最適化機能などがわかりやすいだろう)。 このような予測可能な空間で、人間がなおも依存し、これに飽きないのは、インターネットから得られる情報量が膨大すぎて、認知の限界を超えているからだ。 また、もう一つの重要なポイントとして、この間接的なインターフェースは「言語」という記号によって駆動されている所が大きいということ。言語によって切り貼りされた空間で過ごす時間が多い我々(特にZ世代)は、言外の情緒といったものに対してより鈍感に、そしてその曖昧さに耐えられなくなってきた気がしている。 しかし、ニューロテックが描く世界観としては、たとえば、基底核のヘブ学習のように脳とAIとの強化的な学習により人間のBMIコントロール性能が想像以上に向上することや、文献に散りばめられている脳の可塑性の威力、記号言語に縛られないモダリティでのコミュニケーション・表現の可能性(たとえばイメージのデコード研究)などからわかるように、この総じた脳の「予測不可能性」が大きな鍵となっている。 全脳シミュレーション、デジタルツインや数理神経科学分野はまさにここに挑戦している業界であり、こうした分野の進歩がニューロテックの進歩に繋がることは明白だ。 こうしたニューロテックによって可能となるかもしれない「認知の拡張」は、ある意味では通常何世代、何十~百年という時間スケールで進行する「進化」を、ヒトの個体レベルで一世代のうちに起こすことができるのではないか、という想像も引き起こしてくれる。 以上が、ニューロテックの現状とその先の未来に関する、筆者の私見である。後半はやや現実の技術的限界との乖離があり、思想的な内容になっているが、総じて筆者が思い描くニューロテックの思想に少しでも共感(あるいは批判でも)、興味を持っていただけたら幸いだ。
水口 成寛