一つの新聞記事をきっかけに「ディア・ファミリー」原作「アトムの心臓」23年間の記録: 原作者・清武英利インタビュー
映画「ディア・ファミリー」(毎日新聞社など製作委員会)は心臓に難病を抱え余命10年と宣告された娘と決してあきらめなかった一家の実話である。家族らと親交を重ね、この物語を「アトムの心臓『ディア・ファミリー』23年間の記録」として刊行したのはノンフィクション作家の清武英利。一つの新聞記事をきっかけに長年にわたって丹念に取材を重ねてきた。「運命にあらがう人間を書くことができた。そして、映画は人の持つ無限の可能性を正面から描いています」と語る。 【動画】何もしない10年、やってみる10年、あなたならどちらを選ぶか? 「ディア・ファミリー」予告編 筒井(映画では坪井)宣政(のぶまさ)さんは、愛知県春日井市でホースなどビニール樹脂加工の小さな町工場を経営していた。次女佳美(よしみ)さんは「三尖弁(さんせんべん)閉鎖症」という先天的な病気を抱え、幼い頃に医師から「手術はできない。温存すれば10年は生きられる」と言われる。全国の病院を回ったが診断は同じ。宣政さんは「俺が作る」と人工心臓の開発に立ち上がり、妻陽子さんと勉強に励み、資金と時間をかけるものの次々と問題が立ちはだかり、研究は行き詰まる。その努力はやがて日本初の医療機器「IABPバルーンカテーテル」の製作につながる。次女の命の灯と引き換えに、約17万人の命が救われたのである。
23年前の一つの記事がきっかけだった
2001年、清武は読売新聞中部本社社会部長に着任すると、朝刊の第3社会面に丸々1ページの「幸せの新聞」を始めた。当時は倒産が急増し、暗く苦しい話が紙面を覆っていた。清武は「苦しみをできるだけ前向きに捉えよう。挫折しても立ち上がる人の話、その瞬間を伝えたい」と編集長としてすべての原稿に目を通した。創刊から3カ月、山下昌一という若い記者が宣政さんと佳美さんの話を書いてきた。 「最後の夜、佳美の大好きなクリスマスの賛美歌を歌いながら、心電図の波が消えるまで見送った。……あの子は自分が助からなくても、救われる人がたくさんいることを喜んでいるだろう。……」。400字詰め原稿用紙3枚に満たない記事だった。自然に涙が浮かんだ。「泣かせようという原稿ではない。こんな話が世の中にあるんだと思い、心から感動した」。紙面に写る宣政さんはがっちりした体格のしぶとそうなおじさんだった。どんな人生を歩んだのか、いつかは本に残したいと考えたが、当時は多忙を極め、同時に「開発物語だけではないはずだ」という気持ちもあった。「この家族との縁の糸はつないでいこう」。それが後年役に立った。