甲子園出場ゼロの無名の進学校、入学当初は球速110キロ...今永昇太はいかにしてメジャーリーガーへと上り詰めたのか
北筑は2年から文系、理系にクラスが分かれるため、1年の2学期頃にはどちらかを選択しなければならない。今永は理系クラスへ進んだという。 「私は数学を受け持っていたので、7月の三者面談で、何で理系に来たのか、彼に聞いたことがあるんです。すると『将来の進路、就職のことを考えて理系を選びました』と言っていました。1年生の時からプロを考えていれば、きっと理系は選んでいなかったでしょうね。12月の三者面談では、完全に野球で先に進むという感じでしたが、3年生でも理系のままでした」 同じく副担任だった女性教諭は「授業では絶対に寝ることはありませんでした」と当時を振り返る。 「真面目か? と聞かれたら、そうではありません。だけど、ちゃんとしないといけないと意識しているような真面目さでした。当時の監督さんからは『おまえはずっとエースじゃないといけない』と言われていたようなので、いま思うと、意識的にちゃんとしていたんだろうなと思います」 学内でもエースたる振る舞いを忘れなかった。3年冬。自身が駒澤大学への推薦入学が決まったあとも、一般受験を控える友人たちを励ましていたという。今年4月、半裸で応援する熱狂的な男性ファン6人に「S」「H」「O」「T」「A」「!」と一文字ずつ入った特製Tシャツをプレゼントする粋な計らいを見せたが、そういう気配りは高校時代から変わらなかった。 「エースだからといって、お高くとまっているということもなく、黙っていても誰かが自然と寄ってくる感じでした。最後の夏も、近くの球場で試合があったので、(今永と同じ)3年生の生徒たちが学年主任に直談判して、歩いて球場まで応援に行ったのを覚えています。その試合では、今永が投げて、今永が打って試合を決めていました。みんなから愛されていましたね」 そう語る白石さんは、海の向こうにいる教え子と今でも連絡を取り合っているという。 「メールをしたら、返信が親指を立てた"グッド"の絵文字ばっかりなんですよ。なめていますよね(笑)」 そして、最後にこう続けた。 「(自身の)長い野球人生のなかで、お目にかかれただけでありがたいです。一生に一度、あるかないかでしょう。私学にだって、あんなピッチャーはいませんよ」 恩師や仲間に愛された3年間。今永昇太は、米国でも変わらず愛され続けている。 後編につづく>>
内田勝治●文 text by Uchida Katsuharu