あまりに不遇…。日本代表に縁がなさすぎる選手(3)1度の事故で転落…。日本最強だった才能
サッカー日本代表は、日本で最高のサッカー選手たちが集まる舞台であることは言うまでもない。しかし、代表監督の戦術や好み、選手本人の負傷など、さまざまな理由から呼ばれなかったトップ選手も数多くいる。今回は、Jリーグで見事な活躍をしながらも、日本代表とは縁遠かった選手をピックアップして紹介する。
FW:小倉隆史 生年月日:1973年7月6日 日本代表通算成績:5試合1得点 小倉隆史は、四日市中央工業高校時代から天才的なレフティーと評判の選手で、1992年に名古屋グランパスに加入。翌年からオランダのエクセルシオールに期限付き移籍で武者修行に出ると、リーグの得点王争いに加わるほど活躍した。日本屈指のFWになることが期待された才能だった。 得意の左足のキックだけでなく、得点力もテクニックも抜群だった小倉は、日本に戻ってきてすぐにJリーグでも活躍し、1994年に20歳で日本代表デビューを果たした。 しかし、1996年に悲劇が起きてしまう。アトランタ五輪出場を目指すU-23日本代表の一員として合宿に参加していた際に、右足後十字じん帯断裂の重傷を負い、長期離脱を強いられると、1998年の復帰後も本来の輝きは戻らなかった。 U-23日本代表合宿でのケガがなかったら、小倉はいったいどんな選手になっていたのか。誰もがそう思ってしまうほど、きらめく才能の持ち主だった。
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