作家・佐藤愛子も認めるネアカさ 「佐藤家で珍しく明るい人」 孤独にならない人間関係の極意とは
青森県弘前市の名物教師・佐藤きむ(読みは「きん」)さん。40年を超える教師生活を続けたきむさんは現在91歳となり、マイペースに日々の楽しみと向き合っています。 教育へのひたむきな情熱と飄々とした人柄が魅力的なきむさんのエネルギッシュな生活は、まだまだ現役時代にひけをとりません。 機知に富んだ言葉をたどり、力強いマインドの源泉を探ります。
【佐藤きむ KIN SATO】 文筆家 1932年弘前市生まれ。 弘前大学教育学部卒業後、弘前大学附属中学校などで教壇に立ち、母校の助教授となる。 その後、弘前大・弘前学院大などの非常勤講師を経て文筆家に。 日本エッセイスト・クラブ会員。 著書に『おッ!見えた、目ん玉が!- 八十路の入院体験記-』(津軽書房)など、訳書に『福沢諭吉「学問のすすめ」ビギナーズ 日本の思想』『福翁百話 福澤諭吉』(ともに角川ソフィア文庫)がある。
「荒ぶる血」佐藤家でもっともポジティブ
きむさんの伯父にあたる作家・佐藤紅緑の家族模様は「荒ぶる血」と表現され、文学界でも有名です。 紅緑の次女で直木賞作家の佐藤愛子さんは、そのほの暗い家族のあり方を自著『血脈』でつづっています。そんな愛子さんから見ても、きむさんの明るさはまぶしかったようで「佐藤家で珍しく明るい人」との旨を本人に伝えています。
佐藤「愛子さんに言わせると、佐藤一族というのは、ちゃらんぽらんの人がいっぱいいて、女性は不幸せな人が多い。そんな中で、私のことを『佐藤家では珍しい、幸せな人だ』と言ってくれています。 実際に私の親の世代……女の人には本当に幸せな人がいない。私の祖父・佐藤弥六は福沢諭吉の崇拝者で、東京で働くつもりだったのですが、弘前にいる跡継ぎの兄が死んだため帰省して、子どもが2人いる兄嫁と結婚したんです。 そのあと、祖父は福沢の思想を受け継いで、貧乏ななか子どもたちを全員学校に入れました。女の子も地元の女学校だけではなく、東京の家政科の専門学校に入れた。そこを卒業すれば女学校の家政科の先生などになれたわけです。 結局、彼女たちは夫が早く死んで、免状を生かして働かざるを得ませんでした。いろんなことがあって、とにかく幸せとは言えなかった」