日本プロ野球「始まりの場所」鳴海球場 1927年に建設されたスタンドはいまも一部残る
名古屋市にかつて存在した鳴海球場は、日本プロ野球史上、初めてプロ球団同士の対戦が行われた「始まりの場所」だ。1936年2月9日、東京巨人軍と名古屋金鯱軍が争った試合は、10―3で金鯱軍に凱歌。翌日からの2戦は巨人が連勝し、3連戦で2勝1敗と面目を保つ形となった。この鳴海球場、現在は自動車学校に転用されているものの、27年に建設された当時のスタンドがいまだに残っている。野球文化遺跡とも言うべき鳴海球場跡を訪れ、いにしえの名勝負に思いを馳(は)せてみた。(樋口 智城) 【写真】巨人・阿部慎之助監督が語る「ザ・ベストシーン」34万人が集結 09年日本一銀座パレード「ゾクゾクした」 鳴海球場は、1927年に完成。愛知電気鉄道(現名鉄)が沿線開発として建設した。当時「鳴海小作争議」という地主と小作人との土地を巡る騒動があり、その後両者が和解。土地の区画整理事業が行われ、その一環として野球場建設のアイデアが持ち上がったのだという。 開場以降は中等野球大会(現在の高校野球)の予選を中心に利用され、東海地区の野球人気を支えた。日米野球も、31、34年に1試合ずつ開催している。 戦中の43年には政府の金属回収が強化され、巨大さが自慢だった通称「伊吹スタンド」の鉄傘などが軍に接収。戦後、46年からプロ野球が復活した後は、中日のホームグラウンドとして使用された。48年には名古屋市内に中日スタヂアム(現ナゴヤ球場)ができたことで2軍の本拠地に。53年、名鉄が中日の経営から撤退したことを契機に2軍の練習拠点もナゴヤ球場に移され、58年に閉鎖された。 跡地には名鉄自動車学校ができたが、歴史ある球場を惜しみ、閉鎖への反対運動もあったことから、スタンドの一部が残された。07年、鳴海球場設立80年を記念して教習所内に「鳴海球場跡」のプレートが設置されている。
報知新聞社