「自分の相撲取れなくなった」 阿武咲(青森・中泊町出身)が引退会見 ライバル貴景勝戦思い涙
現役引退を表明した大相撲・元小結阿武咲(28)=本名・打越奎也(うてつ・ふみや)、青森県中泊町出身、阿武松部屋=は19日、東京・両国国技館で会見を開いた。相次ぐけがで満身創痍(そうい)の状態となり「自分の相撲を取れなくなった。阿武咲の相撲ではない」と土俵を去るに至った心中を吐露。時折涙ぐみながらも、12年の力士人生を終え「すっきりした気持ち」と晴れやかな表情を見せた。来年6月1日に両国国技館で断髪式を行う。 28歳、早すぎる決断-。「できるところまで突っ走ろうと思っていた。やりきった気持ちと、まだ年齢的に若いので申し訳ない気持ちの両方がある」と葛藤を抱えているという阿武咲。だがこれまで公表してきた膝、足首に加えて腰、肩も傷め自宅では満足に歩けず、地元出身の幼なじみの妻の肩を借りる時もあったと打ち明けた。 「家庭では自分を中心に置いて相撲に集中できる環境をつくってくれた」と陰に日なたに支えた妻も最後は「見ていられない」と心配。ぼろぼろの体を抱えた土俵勤めだったという。師匠の阿武松親方(元幕内大道)も「楽しそうに取っていた相撲がだんだん苦しそうに見えてきて、これ以上追い込むのはかわいそうだった」と思いやった。 金星以上に、最も思い出に残る勝負は「同じ時代に生きて良かった」という幼少期からのライバル・元大関貴景勝(現・湊川親方)と賜杯を争った2023年初場所13日目の一番。黒星だったとはいえ「自分の全てを出した。昔から知っている間柄と、最高峰の舞台で優勝争いをしたのは特別。死ぬまでの財産」と涙交じりに語った。湊川親方からは「俺ら頑張ったよな」とねぎらわれたといい「本当に幸せな相撲人生だった」と感慨深げだった。 5歳で相撲を始めた古里・青森について「ただ一言。大好きな場所。原点です」ときっぱり。相撲を目指す地元の子どもたちに「相撲人口が減っているが、自分が命を懸けて良いと思えたのが相撲。それぐらい魅力あるというのを知ってほしい」とエールを送った。 阿武咲は第二の人生を馬油を使ったケア用品を扱う企業で歩み出す予定だ。