宮﨑駿『君たちはどう生きるか』は高畑勲からの解放だった 『プロフェッショナル』を観て
それは、あまりにも突然のことだった。12月16日の放送前日になって、『プロフェッショナル 仕事の流儀』(NHK総合)の次回エピソードが、 「ジブリと宮﨑駿の2399日」であることが告知されたのだ。これもまた、『君たちはどう生きるか』(2023年)の事前情報はタイトルとポスターカットのみという、前代未聞のプロモーション戦略を敷いた鈴木敏夫プロデューサーによる謀計なのか? 徹底した秘密主義を貫く、スタジオジブリ側の要請だったのか? 真実は分からない。だが少なくともこの番組が、一人の老映画監督の狂気と孤独と愛憎をまざまざと刻んだ、未曾有のドキュメンタリーであったことは断言できる。 【写真】眞人の横顔が描かれた『君たちはどう生きるか』英語版ポスター 「終わらせないとタタリから抜け出せない」。番組は、そんな宮﨑自身の言葉から始まる。もちろんこれは、『もののけ姫』(1997年)の主人公アシタカと、自分自身を重ね合わせたものだ。エミシの村に住む勇敢な少年アシタカは、タタリ神を退治した際に呪いを受け、村を追われることとなる。平穏無事な日々は、もう二度と帰ってこない。のっけからこのドキュメンタリーは、宮﨑にとってアニメ制作とは一種の“タタリ”であることを宣言する。 そして橋本さとしのナレーションはこう続ける……「その人は映画監督として、一度は死んだはずだった。だが死にきれず、戻ってきた。終われない人、宮﨑駿」。かつて彼がCG短編映画『毛虫のボロ』(2018年)に挑戦した舞台裏は、 『NHKスペシャル 終わらない人 宮崎駿』(NHK総合)というタイトルで放送されている。だが今回は、“終わらない人”ではなく、“終われない人”。明らかにこのドキュメンタリーの作り手は、幾度なく引退宣言をしては現場に舞い戻ってくる世界的アニメーション監督を、アシタカと同じように呪われた男として捉えている。 カメラを回しているのは、長い間宮﨑を追い続けてきたディレクターの荒川格。最初は取材を拒否されたものの、「書生として毎日通うのであれば」という条件で、夢と狂気の王国に足を踏み入れた。今ではすっかり、気心を許す間柄。大のマスコミ嫌いで知られる宮﨑駿も、彼の前ではリラックスした素の表情を見せる(いや、それが本当に素かどうかは、誰にも分からないのだが)。良好な関係を築いた荒川ディレクターだからこそ、齢80を超え傘寿を迎えた巨匠を、呪われた男として描くことができたのだろう。 かつてNHKは、宮﨑駿の精神的弟子ともいえる庵野秀明の密着ドキュメンタリーを制作している。カメラに収められていたのは、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(2021年)や『シン・仮面ライダー』(2023年)における、他を寄せ付けない圧倒的な仕事ぶり。理想を実現させるためなら、現場に混乱を巻き起こすことすら厭わない。だが庵野秀明は、優れたクリエイターであると同時に、株式会社カラーの代表取締役社長を務めるビジネスマンでもある。これは筆者の推測だが、自分の振る舞いをテレビで放送することによって、映画の集客に繋げようとする狙いもあったのではないか。庵野秀明の、庵野秀明による、庵野秀明のためのブランディング。そこには、巧妙に神格化された孤高の天才がいる。 だが「ジブリと宮﨑駿の2399日」で描かれる宮﨑駿の姿は、孤高の天才とは程遠い。「めんどくさい」と愚痴を言い、物忘れもひどくなり、今は亡き戦友・高畑勲にいつまでも想いを馳せている。このドキュメンタリーは、50年間以上共に戦い、学び、憧れ続けてきた、高畑勲への愛憎劇として作られているのだ。アニメという呪いは、東映動画の先輩である彼によってもたらされたもの。呪いに囚われた哀しき老人を、この番組は残酷なまでに暴き出す。だからこそ本作は、未曾有のドキュメンタリーなのである。 ■虚構からの解放、現実への帰還 「いつも片思い」。宮﨑駿と高畑勲との関係は、『もののけ姫』でサン役を務めた石田ゆり子のナレーションで、そんなふうに伝えられる。好きすぎるあまりに、パクさん(高畑勲の愛称)の筆跡を真似する。寵愛を受けた近藤喜文に嫉妬する。『風の谷のナウシカ』(1984年)では彼をプロデューサーという難役に指名し、青春を捧げた彼に復讐を果たそうとする。そして告別式では、「55年前に、あの雨上がりのバス停で声をかけてくれた」と大粒の涙を流す。愛憎半ばする感情。高畑がこの世からいなくなっても、「パクさんと話をしたい」と呟く。 このドキュメンタリーでは、『君たちはどう生きるか』に登場する大伯父が、高畑勲その人であったことが明かされる。大伯父と呼ばれるその人物は、塔の上に棲まう老賢人。13個の積み木によって、“下の世界”の均衡を保ち続けている。そして本編の主人公・眞人に、その役目を引き継ぐことを願い出るのだ。公開当時、「下の世界とはスタジオジブリそのものではないか?」、「大伯父は宮﨑駿で、眞人はその実の息子である宮崎吾朗なのではないか?」という考察が溢れまくった。だが、みんな「均衡を守る役目を引き継ぐことができるのは、自分の血を引いた者しかいない」という大伯父の言葉に騙されていた。それは、高畑映画の正統継承者は自分であるという、強烈な自負だったのである。 高畑勲にとって初めてとなる監督作品『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968年)にアニメーターとして参加したときから、おそらく彼はずっとその想いを抱き続けていた。そして、タタリ神によって死の呪いを受けてしまったアシタカのように、宮﨑駿も高畑勲という怪物にとって、アニメという呪いを受けてしまったのである。鈴木敏夫が言うところの、「宮さんにとってはね、映画の中が現実なのよ。現実の世の中は虚構だよね」という不思議な実存感覚は、その瞬間にインストールされてしまったものなのかもしれない。 番組のラスト近く、宮﨑駿は大伯父役の火野正平に、粘り強く執拗に、あるセリフを何度も言わせている。 「眞人、時の回廊に行け。自分の時に戻れ」 大伯父=高畑勲は、眞人=宮﨑駿に対して、上の世界=現実に還るように伝える。すでにこの世にはいない高畑勲を召喚させることで、宮﨑駿はアニメという呪いから解き放たれようとする。作品というものは多かれ少なかれ、誰よりもまず作家自身が治癒される機能を持つものだが、『君たちはどう生きるか』はまさしく、解放のための映画だったのかもしれない。いくら引退宣言しても、そのたびにアニメーションの世界へとまた引き摺り込まれてしまう、恐ろしい呪いからの。 果たして、その呪縛から宮﨑は自由になれたのか。作画監督の本田雄は「次やらないと言っているけど、やるんじゃないですかね」と語っている。そしてスタジオジブリには、サギ男のモデルとなった男がまだいる。プロデューサーの鈴木敏夫だ。眞人を下の世界へ誘ったように、鈴木敏夫も宮﨑駿にアニメーションの世界への扉をまた開けてしまうかもしれない。それは我々映画ファンにとって、このうえなく幸せなことだ。宮﨑自身にとって幸福なのか、不幸なのかは、もはやさっぱり分からないけれど。
竹島ルイ