「山と大都会」に生息するハヤブサに学ぶ、「最適な居場所」を見つける方法
自分の特性を踏まえた行動をとろうとすると、その行動は自然にたった1つに定まるという考えは単純すぎます。ハヤブサが海辺の崖や山脈に住まうことも、大都市に住まうこともできるように、衝動は、複数の適応先を潜在的に持っているものです。それに気づくことができるかはさておき。そして、そういう複数の選択肢や、また別の可能性に気づけるように、偏愛をそのままにせず、いくらか抽象化する(=解釈する)ことが大切だと論じてきたのです。 要するに、ある衝動は、求めている楽しさが損なわれない限りで意外なほど多様な仕方で横展開することが可能です。「二次創作的な物語制作」を偏愛しているからといって、物語制作者になる必要はないように、ちゃんと偏愛を解釈することができれば、自分がフィットする場所を色々なジャンルや対象に見つけることができる。
● 自分の居場所を見つけるには 自分の偏愛をとことん掘り下げよ 私は、個人的で特定化された具体的な欲望のことを「偏愛」と呼んでいます。往々にして人生の「正しい」レールを外れて楽しく暮らしている人が身に着けているように思われる、「きめ細かく特定された、自分自身の(いわば偏った)好みや興味」のことです。偏愛は他人と共有できないかもしれないし、合理性もないかもしれない。 こうした偏愛の延長に衝動はあります。偏愛は、衝動が具体的な行動としての出口を見つけたときに用いられる言葉です。だからこそ、偏愛をほどほどに一般化すれば、衝動を言い当てることができます。衝動は、解きほぐされた偏愛のことです。 これが、「衝動とは結局何ものなのか」という問いへの答えです。衝動について知りたければ、欲望の強さに惑わされず、自分の細分化された個人的な欲望、つまり偏愛について掘り下げ、それを抽象度を上げてパラフレーズし(別の言葉で言い換え)ていけばいい。 野鳥観察が楽しいからといって、野鳥観察の雑誌出版社や関連協会に勤めることが自分にとっての正解だと言えるでしょうか。山岳ガイドになったり、鳥類学者になったりすることがベストでしょうか。どれがその人にとって一番いいのかということは、誰にも断言できません。もしかすると、趣味として楽しむ以外には野鳥業界には居場所がないことがわかるかもしれないし、これらすべてに適性があるとわかるかもしれない。野鳥観察への異常な情熱があったとしても、それだけでどうこう言えない。 自分がフィットする場所はそう簡単に見つからないはずです。神のような視点に立って、自分の衝動がどこに向かおうとしているのかを足早に断定することは誰にもできません。上司や教師にも、家族にも、自分自身にもできないことです。結局のところ私たちは、時間をかけて色々やってみながら、「これかも」「いや、こっちかな」という地道な試行錯誤を通して、自分の衝動がどんなものなのかを調べ、観察してみなければならないのです。
谷川嘉浩