火野正平さん 内縁の妻とは40年未入籍…どんなに浮名を流しても本妻と「離婚しなかった理由」
11月20日、俳優の火野正平さんが11月14日に死去していたことを所属事務所が公表した。75歳だった。 【写真あり】「昭和を代表するモテ男」火野正平さんの若い頃 所属事務所によると、火野さんは今年4月から持病である腰痛の治療に励んでいたが、夏に腰を骨折して以降、体調を崩していたという。「最期まで仕事復帰を願っていたが叶うことはなかった」「自宅で家族に見守られて穏やかな最期を迎えた」とのことだった。 1949年5月、東京都目黒区で生まれた火野さん。母の勧めで12歳の頃劇団に入団すると、すぐに『少年探偵団』(フジテレビ系)のレギュラーに。中学2年生の時には親の仕事の関係で大阪に引っ越し、火野さん独特の関西弁まじりの喋り方を生むこととなる。 その後、’73年のNHK大河ドラマ『国盗り物語』に羽柴秀吉役として出演しブレイク。それまで本名で活動していた火野さんだが、この際に池波正太郎が名付け親となって「火野正平」に改名。実は、この芸名について’15年の週刊文春のインタビューでこんな逸話を明かしている。 《でも、後で姓名判断の人に見てもらったら「スキャンダルには気をつけなはれ」と言われてね。もう遅い、って話だったけど》(『週刊文春』2015年10月29日号) 改名が影響したのだろうか。火野さんは、数々の時代劇、映画で活躍する傍ら、70年代から80年代にかけて多くの女性と浮き名を流すこととなった。 「’70年に、15 歳の時に出会った一般女性と結婚して子供をもうけたにもかかわらず、翌年には女優の新藤恵美さんと交際。その後も女優の紀比呂子さん、アイドルのホーン・ユキさん、望月真理子さん、仁支川峰子さん、りりィさんなど数々の女性と交際してワイドショーをにぎわせていました。 実際、何件もの”家”があり毎日帰る家に悩んでいたとインタビューなどで明かしており、最大で11股していると報じられたこともあったそう。20歳の時に結婚した本妻との離婚は成立していなかったにもかかわらず、昭和を代表するモテ男でした」(芸能関係者)