村田諒太 次戦は思い出の京都で世界ランク入りへ向けての試金石
前日は、マニー・パッキャオが、ティモシー・ブラッドリーにリベンジ戦を挑んだWBO世界ウェルター級戦をテレビ観戦した。パッキャオが判定で王者のブラッドリーを下したが、パッキャオの超攻撃的なスタイルは影を潜め、村田の胸中は、複雑だった。 「パッキャオは恐れを感じていた。1つの時代の終わりを感じた。時代は新しい時代。新しいスターを求めている。そこに僕も殴りこんでいきたい」と、自分に言い聞かせた。 この試合には、さらにモチベーションがふたつある。1つは、会場となる京都には、村田のルーツがあるということ。村田を語る上で、恩師である故・武元前川先生と、共に過ごした南京都高校ボクシング部(現在・京都廣学館)での3年間は切り離せない。正確には、南京都高校は、ほとんど奈良との県境にあって、京都とは言えないのだが、彼は、高校時代、毎週、ロードワークのコースとして、京都の山を走り、試合前になると、学校に泊り込んで地獄の合宿を張った。そして、今、その恩師が、眠る場所も京都にある。 「思い出の地でもあるから嬉しく思う」。 村田にとってみれば、そこで恥ずかしい試合は見せることはできない。 プロフェッショナルは、結果で見せるもので、そのバックグラウンドなど関係はないのかもしれないが、村田にとって“何のために戦うか”の理由が間違いなくひとつ増える。戦う理由を持っているボクサーほど強いボクサーはいない。 (文責・本郷陽一/論スポ、アスリートジャーナル) ■公開練習