袴田事件と名張事件の「光と影」 鴨志田祐美[弁護士]
袴田事件の再審公判が、再審無罪のゴールに向けて進む中、日弁連の支援する、もう一つの死刑再審事件の請求棄却が確定した。名張事件第10次請求である。 いわゆる「死刑四再審」(免田、財田川、松山、島田の各事件)で、4人の死刑囚が相次いで再審無罪となった1980年代の後、再審開始に至る事件が激減し、「冬の時代への逆流」と呼ばれた90年代に、日弁連の支援する二大未解決死刑再審事件として厳しい闘いを続けてきたのが、袴田事件と名張事件だった。 21世紀に入り、名張事件は第7次請求審(名古屋高裁第一刑事部)で05年4月、再審を開始する決定が出された。このとき第1次請求の特別抗告審が最高裁に係属中だった袴田事件は、9年後の14年3月、第2次請求の静岡地裁で再審開始決定がされた。しかし、両事件はその後も苦難の道のりを歩む。名張事件は検察官の異議申立てにより名古屋高裁第二刑事部で再審開始が取り消されたが、弁護側の特別抗告により、最高裁第三小法廷が高裁の取消決定を破棄、審理を名古屋高裁に差し戻した。袴田事件でも、静岡地裁の再審開始決定に対し、検察官が即時抗告を申し立て、これを受けた東京高裁が再審開始を取り消した。そして名張事件と同様、弁護側の特別抗告を受けた最高裁第三小法廷が高裁の取消決定を破棄、審理を東京高裁に差し戻した。 二つの事件が明暗を分けるのはここからである。袴田第2次は、昨年の3月13日、差戻し後の東京高裁が検察官の即時抗告を棄却し、再審を認めた静岡地裁の決定を維持した。この決定に対し、検察官が特別抗告を断念したことにより、当初の開始決定から9年の歳月を経て、ようやく再審開始が確定した。 一方、名張第7次では差戻し後の高裁が、またしても再審開始決定を取り消し、最高裁で確定した。一度は開いた再審の扉が再び閉ざされたまま、第7次請求は終結した。獄中で無実を訴え続けた奥西勝さんは、第9次請求中の15年10月4日、八王子医療刑務所で89歳の生涯を終えた。そして亡き兄の遺志を継いで妹の岡美代子さんが申し立てた第10次請求が、今般棄却に終わったのである。 名張事件には、他の死刑再審事件と大きく異なる点が一つある。それは、一審判決(津地裁)が無罪だったということである。一審の無罪判決に対し、検察官が控訴し、控訴審の名古屋高裁で逆転有罪、しかも死刑判決が言い渡された。名張事件は、日本の刑事裁判史上、一審の無罪判決が上訴によって覆された後、死刑が確定した唯一の事件である。 このことが、名張事件の再審請求手続を特殊なものにしている。袴田事件も、死刑四再審も、再審請求は地裁に申し立てられているが、名張事件はそうではない。刑事訴訟法438条が「再審の請求は、原判決をした裁判所がこれを管轄する」と定めているため、高裁での逆転死刑判決が確定した名張事件では、再審請求は名古屋高裁に申し立てられる。 通常の裁判では控訴審を担当する高裁が、再審請求ではいきなり第一審として対応することが果たして妥当かという議論もあるが、さらなる問題は、高裁決定に対する不服申立ての場面で顕在化する。地裁が行った再審の決定に対しては即時抗告がされ、上級裁判所である高裁が地裁の決定の当否を判断する。しかし、高裁の決定に対する不服申立ては、同じ審級である高裁に対する「異議申立て」になる。同じ程度のキャリア、スキルをもつ別の裁判官たちが、いわば同僚が行った決定の当否を判断することになるのだ。しかも名張事件を管轄する名古屋高裁には刑事部が2つしかない。第7次再審では、同じ名古屋高裁の第一刑事部の再審開始決定を、隣の第二刑事部が取り消した。まるで「後出しじゃんけん」のように、常に後の裁判体が行った判断が優先されてしまうのである。 ここで改めて、名張事件の概要と確定判決の事実認定を確認しておく。1961年3月、名張市内の公民館で行われた生活改善クラブ「三奈の会」の総会後の懇親会で出されたぶどう酒を飲んだ女性のうち、5人が死亡、12人が中毒症状で入院した。飲み残りのぶどう酒から有機リン系の農薬成分が検出され、毒物混入による集団殺人事件として捜査が開始された。連日の長時間にわたる取調べの末、奥西さんが犯行を自白し、逮捕された。 確定判決は、奥西さんが愛人と妻との三角関係を清算するために両名を殺害しようと企て、自ら公民館にぶどう酒を運び入れ、公民館に誰もいなくなった隙にぶどう酒を開栓し、持参した農薬「ニッカリンT」を混入させてから替栓をし直して懇親会に提供。懇親会でぶどう酒を飲んだ愛人と妻を含む女性5人を殺害したと判断した。 確定判決が奥西さんを有罪とした根拠は大きく分けて、①犯人がぶどう酒にニッカリンTを混入させた場所は公民館内であり、そこでの犯行が可能だったのは、公民館に10分間ただ一人でいた奥西さんのみであることを示す情況証拠、②公民館内で発見されたぶどう酒の替栓に印象された傷跡が、奥西さんの歯によって刻まれたものであるとした3つの鑑定、③奥西さんの自白、の3点である。 日弁連が名張事件の支援を開始したのは1977年の第5次再審からである。第5次請求で弁護団は、前述の証拠群のうち、②の鑑定が、写真の倍率を操作するなどして奥西さんの歯痕と一致するかのようにねつ造した、不正なものであることを裏付ける新証拠を提出した。最高裁は、新証拠によって三つの鑑定の信用性が大幅に減殺することは認めたが、新旧全証拠を総合評価すると、①の証拠群によって、奥西さんの犯行と認めることができ、これに③の自白も総合すれば、確定判決の有罪認定に合理的疑いは生じないとして、再審請求を棄却した。 一度は再審開始が認められた第7次請求では、弁護団は混入された毒物は「ニッカリンT」ではなく、別の有機リン系農薬であることを示す科学的な分析結果を新証拠として提出した。本件で使用された毒物がニッカリンTではないとすると、「奥西さんが事前にニッカリンTを購入し、事件後にはそのニッカリンTの所在が不明になった」という事実は、奥西さんの犯人性を裏付ける力を失い、ニッカリンTを混入させたとする奥西さんの自白とも矛盾することになる。 弁護団の行った実験において、ニッカリンTに含まれた成分が、本件の毒物入りぶどう酒では認められなかったことが判明した。しかし、再審請求を棄却した裁判所は、ニッカリンTに認められた成分は実験の過程で形成されたもので、事件検体の方は同じ成分が時間の経過によって分解され消失したために出なかったという「仮説」によって新証拠の明白性を否定した。 しかし、累次の再審で、確定判決を支えていた多くの証拠の価値が揺らいでおり、奥西さんの自白の信用性にも疑問が生じている。あとは「犯行の機会があったのは、犯行場所である公民館に10分間一人でいた奥西さん以外にはいない」という①の証拠群が崩れれば、確定判決の有罪認定はもはや維持できなくなる。 弁護団は第10次再審で、まさにこの「10分間問題」を粉砕する新証拠を携えた。それは、ぶどう酒の瓶口に貼られていた封緘紙の裏面には、製造時の瓶詰めの際に使われたCMC糊とは別に、洗濯糊として使われるPVA糊の成分が検出されたことを示す新鑑定(糊鑑定)だった。これにより、真犯人が封緘紙を二度貼りした可能性が生じる以上、犯行場所が公民館であって、奥西さんしか犯行機会がないという確定判決の事実認定には合理的な疑いが生じることになる。 しかし、請求審の名古屋高裁第一刑事部は、鑑定人の証人喚問や証拠開示勧告など、必要な事実の取調べを一切行わずに再審請求を棄却した。同じ名古屋高裁の第二刑事部が行った異議審では、確定審の事実認定と矛盾する内容を含む事件関係者の供述調書が初めて開示されるなどしたが、それぞれの証拠を総合的に評価することなく、個別に証明力を否定して請求棄却の判断がされた。 今回の最高裁第三小法廷による特別抗告棄却決定でも、4人の裁判官による多数意見は糊鑑定の証明力を否定した。その理由として、事件当時の封緘紙や糊の成分自体が確定し難く、封緘紙の採取・保管過程で何らかの物質が付着した可能性もあること、鑑定人の回答に変遷や曖昧な点があることなどを指摘している。 このように、再審事件で弁護人が提出した科学鑑定に対し、事件当時の再現性が十分でないことや、鑑定人が明確な回答を留保したことを理由に明白性が否定されるケースは多い。しかし、事件から長い年月が経過した事件に完全な再現性を求めるのは不可能を強いるに等しく、科学に対する良識がある専門家ほど、謙虚さから断言を避けるものである。結局のところ裁判所が再審請求人に「無罪の証明」を課していることに他ならない。 一方、宇賀裁判官の反対意見は、糊鑑定に科学的証拠としての高い信用性を認め、同鑑定が「10分間問題」に関する証拠群の証明力を減殺すると判断した。そして、第5次再審における、歯痕鑑定に疑問を生じさせた証拠や、第7次再審における、本件毒物がニッカリンT以外の農薬である疑いを生じさせた実験結果など、過去の再審で提出された新証拠も含む新旧全証拠の総合評価の結果、犯行の機会に関する情況証拠から、奥西さんが本件犯行を犯したと認めることはできず、奥西さんの自白の信用性にも多大な疑問が生じており、確定判決の有罪認定には合理的な疑いが生じているとして、本件について再審を開始すべきと結論づけた。 宇賀反対意見は、再審における新証拠の明白性判断は、新旧全証拠の総合評価によること、そこに「疑わしいときは被告人の利益に」の鉄則が適用されることを宣言した白鳥・財田川決定に忠実に従った判示だった。他の4人の裁判官が、これほど詳細で的確な反対意見を無視し、差戻しすらせずに再審請求を棄却してしまうところに、現在の最高裁の機能不全を感じずにはいられない。 それにしても、名張事件と袴田事件の明暗はどうして生じてしまったのか。著名刑事弁護人で、名張事件の弁護団員でもある神山啓史弁護士の言葉を思い出す。「名張7次で開始決定が出て、奥西さんの死刑の執行停止が決定したときに、弁護団が『拘置の執行停止』まで求めなかったことが悔やまれてならない」――。 静岡地裁で袴田事件の再審開始決定がされたとき、裁判所は死刑のみならず拘置の執行停止を決定し、袴田さんを釈放した。これにより、袴田巖さんは確定死刑囚という身分のまま、社会に出た。多くの市民が浜松の街を闊歩(かっぽ)する巖さんの姿を目にすることで、巖さんを一刻も早く救済すべきという世論が自然と形成されていったことは間違いない。 一方で、奥西さんは再審開始に伴い、死刑の執行こそ停止されたが、釈放はされなかった。その後再審は取り消され、奥西さんは医療刑務所に収監された状態でこの世を去った。奥西さんは一般市民から「遠い存在」のままだったのだ。 先月94歳となった岡美代子さんは、兄のために第11次再審請求を行う意向を明らかにしたという。名張事件の救済なしに、日本の再審の未来はない。