<俳優生活40年>妹尾和夫「自分の劇作りに酔っていた大学時代」
日本大学2年生の時、妹尾は学生運動のデモに「付き合い」で参加したことがきっかけで「演劇部はがんばっているから」と、自らが通う文理学部の敷地内に念願の「部室」が与えられた。妹尾はそれを「アトリエ」と呼び、妹尾はそれまでの演劇部以上の部員を集め、勢力を拡大。2年生ながら、大学演劇部で年1回行う本公演の演出の座を獲得しようと奮起していた。 <俳優生活40年>妹尾和夫の大学時代「デモ参加で部室与えられた」
安部公房の「友達」をプレゼン、演出の座を2年生で獲得
演劇部では、年1回の本公演の演出の座を勝ち取るには、部員全員が集まる大規模な総会で「この演劇をやりたい」とプレゼンテーションを実施。それを聞いた部員が一番説得力のあるプレゼンテーション、やりたい演劇について挙手し、多くの数を得たものの演劇を行うというものだった。 「当時は、オリジナル作品とかでなく、自分たちが見てきた演劇をコピーしていました。みんな熱意たっぷりにプレゼンテーションをしてましたね」と妹尾はしみじみと振り返る。 妹尾は安部公房の「友達」をやりたいと熱いプレゼンテーションを行った。すると、なんと2年生ながら得票数トップで演出の座を勝ち得た。 「今だからいいますが、当時は1級上の方々にも勝てそうな気がした。あと、僕は大阪人だから、口がうまかったんですわ」と妹尾は苦笑しながら当時の喜びを振り返った。
演劇にはまり「自分の劇作りに酔っていた」
しかし、1年生の時は運搬係で劇のセットを運んだり、セットの転換を担当し「おれ、なんかいい感じ。楽しい学生生活を送れてる」と自己満足の世界に浸っていた妹尾がたった1年で変わった。 蜷川幸雄演出の劇団現代人劇場「想い出の日本一萬年」を座席取り係の仕事ついでにみたことが、こんなに人生を変えるとは。 その時の妹尾は「大学生活を楽しもう」というより「僕らは勉強するために大学にいるんじゃない。ひとつでも多くいい演劇をするんだ」ということばかり考えていた。つまり、自分の劇作りに酔っていたという。劇団の公演日が試験日と重なっても、平気で演劇を優先していた。