羽生の衝突事故はなぜ起きたのか
衝撃的なアクシデントは6分間の公式練習のさなかに起きた。 フィギュアスケートのグランプリシリーズ第3戦となる中国・上海大会。8日は、男女のシングルフリーが行われたが、その男子フリーの最終滑走組の公式練習で羽生結弦(19)が、後ろ向きの滑走から前を向く瞬間に、同じような動きをしていた中国のエン・カン(閻涵、18歳)と正面衝突。 羽生の額が、エン・カンの顎にぶつかった。その凄まじい衝撃でおそらく脳震盪を起こしたのだろう。羽生は、顔面からリンクに打ち付けられ、その際、顎を強打。仰向けになったまま微動だすることができなかった。 額と顎からはひどい流血。うつろな表情で、痙攣を起こしたようにリンク外に引き上げた羽生は、頭に肌色のテーピングをグルグルまき、あごの裂傷部分に絆創膏が張られる痛々しい姿で再び、公式練習のためリンクに現れた。無意識なのか、涙があふれている。滑り出したが、足はよろけて顔は真っ青。それでも競技出場を続ける意思を示すかのようにジャンプを試した。この時点で一方のエン・カンは棄権を表明していた。羽生のコーチや周囲は、欠場を薦めたが、オリンピックチャンピオンは、がんとして受け付けなかったという。地元中国のエン・カンも、その羽生の姿に刺激を受けたのか。棄権を撤回して、フリー演技を強行した。だが、満足にジャンプはできない。 そして悲壮な決意を胸に羽生もリンクに現れた。 冒頭の4回転サルコウ、4回転トゥループと続けて転倒したが、4回転は認められ基礎点はキープした。後半の新プログラムに入れていた4回転のコンビネーションジャンプは回避。力のなくなった後半は、3回転ループ、3回転ルッツでさえ転倒。計5度の転倒をしたが、4分半のフリー演技を最後までやりきってみせた。上海の会場は、その羽生の魂の滑りに感動の涙と拍手が広がった。154.60の得点を見た瞬間、羽生は号泣した。結果的に2位となったが、おそらく意識が朦朧とする中、金メダリストの尊厳と責任感だけを、強靭な精神力に変えて演じきったのだ。奇跡とも言える上海の4分半だった。 だが、そもそも、なぜアクシデントが起きたのか。 元全日本2位で、現在は、インストラクター及び評論家としてWEBサイトのアスリートジャーナルで執筆をしている中庭健介氏に話を聞いた。 「VTRを見ると、お互いが後ろ向きでスピードに乗って振り返った瞬間にぶつかっているので、どちらに責任があるとはいえません。選手は、6分間という限られた時間の中で、あれも確認したい、これも確認したいと、焦りの中でチェックを行っているので、自分のことにしか集中できていない環境にあります。 しかも、フリーの前は、確認事項も増え、羽生選手は、4回転を3回も入れる初めてのプログラムに挑む直前だったからなおさらでしょう。エン・カンは、かなりのスピードのある選手なので、想像を絶する衝撃だったのでしょう。練習場でも、こういう事故が起きる危険性はあって、私も何度か見ていますが、これほどの大きなアクシデントは初めてです。ぞっとしました。 痛みもそうでしょうが、もう頭が真っ白で、ぼーっとしたままの状態で演技をしたのではないでしょうか。足に力が入らずに踏ん張りが利かずに跳べないのは当然です。それでも、2度の4回転ジャンプを途中で“パンク”させることなく、締めたのは、驚くメンタルの強さです。あの状態で4回転から逃げませんでした。 オリンピックチャンピオンになって羽生選手が大きく成長したことを示すような気持ちで勝ち取った価値のある2位だと思います」