イチからわかるエジプト危機/「アラブの春」はどうなった?
7月3日、エジプトでクーデタが発生し、モルシ大統領が軍に拘束されました。エジプトでは6月末から大統領への抗議デモが全土に広がり、これに対抗する大統領支持のデモも頻発。両者の衝突が発生するなか、「混乱の収拾」を大義に軍が介入したのです。昨年6月30日のモルシ大統領就任から、1年あまりのことでした。【国際政治学者・六辻彰二】
ムバラク政権打倒では協力したが
この混乱は、2010年の暮れから中東・北アフリカ諸国で相次いだ政変「アラブの春」に起源があります。エジプトでは1981年以来、軍の支援を受けたムバラク氏が大統領の座にありましたが、物価の高騰や失業を背景に、これに対する抗議デモが激化。そこには大きく二つの系統があり、一方にはイスラームの価値を重視する勢力があり、なかでも貧困層の生活支援などで幅広い支持を集めていたのが「ムスリム同胞団」でした。もう一方には、中間層を中心とするリベラル派や、エジプトで少数派のキリスト教徒など、イスラームと距離を置く勢力がありました。両者はともに独裁的なムバラク政権に弾圧されていたため、これを打倒する一点で協力したのです。 抗議デモの広がりを受け、ムバラク氏は2011年2月に大統領を辞任。内外の批判が強まるなか、軍がムバラク政権から徐々に距離を置いたことは、これを決定づけました。その後、軍による暫定統治のもとで、2012年5月から6月にかけて大統領選挙が実施された結果、ムスリム同胞団の固い支持基盤に支えられたモルシ氏が当選したのです。
強いイスラム色や失業率悪化に不満
ところが、これら諸勢力間の対立は、モルシ政権のもとで先鋭化するとともに、錯綜し始めました。抗議デモを武力で鎮圧し、多くの死傷者を出した責任を問われたムバラク氏の二人の息子に対して、2012年6月に裁判所が証拠不十分で無罪判決を出したことから、各地で暴動が発生。軍や司法関係者に旧体制支持者が多いことは、ムバラク政権に批判的だった諸勢力の不満を高めました。 一方で、2012年11月に与党が強引に採決した新憲法の草案は、リベラル派やキリスト教徒だけでなく、旧体制派からも「イスラーム色が強すぎる」と批判が噴出。そのうえ、物価の高騰はおさまったものの、失業が逆に増えたことも、反モルシ派の結束を促す一因になりました。これらの対立と協力関係のもと、リベラル派、キリスト教徒、旧体制派などが、モルシ大統領就任1周年を目前にした6月から、抗議デモを激化させてきたのです。
反モルシ勢力は「同床異夢」
軍による介入を、ムスリム同胞団などは強く非難。これに対して、反モルシ派は軍が味方についたと歓迎する意向です。とはいえ、これまでの経緯に照らせば、反モルシ勢力の内情は「同床異夢」とみられます。7月4日に暫定大統領に就任したマンスール最高憲法裁判所長官は、早い時期に選挙を実施すると言明。しかし、仮にそうなったとしても、各勢力間の根深い対立が容易に解消するとは考えにくく、エジプトに安定した民主主義が根付くには、相当の期間が必要といえるでしょう。