「民本主義」100年 吉野作造をしのぶ会
ことし(2016年)は、宮城県大崎市出身の政治学者、吉野作造が大正デモクラシーの理念である「民本主義」を提唱してからちょうど100年目にあたります。それにちなんで3月27日、仙台市青葉区で吉野作造を偲ぶ朗読会や講演会が開かれました。
「吉野作造を偲ぶ朗読会」と「『吉野作造通信』を発行する会」の共催で、朗読会は今回が8回目です。会場となった仙台市片平市民センターには、吉野作造の精神と業績を現代社会に継承したいと考えている市民ら80人が参加しました。 冒頭、「『吉野作造通信』を発行する会」を代表して一戸富士雄さんがあいさつに立ち、「ここ2、3年、立憲主義そのものが揺らいできた。亡くなった吉野作造は、日本国憲法の下での、今の新しい状況をどんな思いで見詰めているだろう」と強調しました。 朗読では吉野の人となりを知ってもらうために肉親や弟子、友人らが書いた文章を、吉野を慕う人たちが思いをこめて紹介します。今回は、息子の俊造氏が書いた「わたしの履歴書」など2編と、娘の土浦信子氏が「婦人之友」創刊89年の対談に臨んだ際の記事などが取り上げられました。 俊造氏は「戦前は(吉野を)国賊呼ばわりする者もあった。私自身も色眼鏡で見られるなど、少なからず被害に遭った」と書いています。信子氏は「父は大学時代に洗礼を受けたキリスト者でしたから、いつも、貧富の差の激しい世の中を心から嘆いていました」と肉親ならではのエピソードに触れています。 第2部では「『吉野作造通信』を発行する会」の永澤汪恭さんが「吉野作造民本主義提唱100年に寄せて-吉野作造の思想と実践に学ぶ」と題して講演しました。永澤さんは「民本主義」の原理やそれを生み出した背景について説明しながら「大日本帝国憲法のもとで、民衆の政策決定への参加を理論的に根拠づけようとした」「政論によって民衆の政治教育をしようとした」「国民に市民的自由をうえつけることの必要性を実感していた」などと指摘しました。 吉野作造は1878年(明治11年)、現在の宮城県大崎市生まれ。1933年(昭和8年)死去。ちょうど100年前の1916年、中央公論に「憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」という論文を書き、いわゆる「民本主義」を唱えました。普通選挙制度の実現を求めた普選運動や男女平等、労働者の権利獲得などに動いた「大正デモクラシー」の理論的な支柱と見られ、脚光を浴びました。 (メディアプロジェクト仙台:佐藤和文)