「なんで新日本プロレスに行かないの?」息子の疑問に父・諏訪魔はなんと答えた? Jリーガーになった息子に伝えたプロ魂と愛のエール
一流アスリートの親はどう“天才”を育てたのか――NumberWeb特集『アスリート親子論』では、さまざまな競技で活躍するアスリートの原点に迫った記事を配信中。本稿では、全日本プロレスの“暴走専務”こと諏訪魔(すわま)の父としての顔を、Jリーガーになった息子・諏訪間幸成(こうせい)(筑波大3年/横浜F・マリノス内定)が明かしています〈全2回の後編〉「よく“プロレスラーの息子”と言われて嫌じゃないの? と聞かれるんですが、嫌なんて思ったことは一度もないですよ。逆に、誇りですね」 【画像】「うわ、めっちゃ成長してる…!」“暴走専務”諏訪魔47歳の息子がJリーガーになってた!8年後の息子の姿から、“悪役レスラー”に転向する前の超マジメそうな父の若き日の姿も(10枚超) 年頃の大学生だ。少し照れてもおかしくないが「パワーがもらえます」と満面の笑みで父・諏訪魔の決めポーズを真似る。リスペクトする理由は他でもない。父のプロとしての生き方が、現在の幸成の土台を形成しているからだ。
「アキレス腱を切っているのに…」
父の生き様を見せつけられた、ある試合がある。幸成が小学6年だった2016年1月2日、諏訪魔は全日本プロレスの専務取締役の座を辞任して3冠ヘビー級王者の秋山準に挑んだ。1200人を超える観客が集まった後楽園ホールで見事に王座に返り咲くのだが、実はこの試合で右アキレス腱断裂という大怪我を負った。 「秋山選手との試合が終わった後、家族のグループLINEに『大怪我をしたかもしれない』とメッセージが入った。普段はそんなことを言ってこないから、ただ事ではないぞ、と」 この一報を受け、幸成は母と妹と2階にあったキングサイズのベッドを解体し、1階に運んで組み立て直した。父の負担を少しでも減らしたい思いからだった。しかし、父はいつも通り、何食わぬ顔で自ら車のハンドルを握って帰宅した。 「確かに痛そうにはしていたのですが、ご飯の時は普通にみんなで食べていたし、食後も家族でゲームしたり、たわいもない会話をしたり……」 後にアキレス腱断裂と診断されて大怪我だったと判明するのだが、父は右足首に違和感がありながら翌日も車に乗り込み、後楽園ホールのタッグマッチに出場。休養に入ったのは秋山戦から1週間以上が経過してからのことだった。 「僕たちがご飯を食べている横で、あまりの痛さから『ウォ~』と悶絶していることもあったのですが、『痛そうだね』で終わっていました。僕らの感覚もおかしくなっているんでしょうね(笑)。でも、お医者さんが『普通なら歩くこともできない。でも、ふくらはぎの筋肉だけでカバーできちゃっているよ』と呆れていたことを聞いて、父のプロ魂を感じました。これまでコツコツと鍛え上げてきた肉体と気力で乗り切っているんだ、と」
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