【あのホームレスたちはどこへ?】かつてのニューヨーク「スラム街」が劇的変化を遂げられた仕組みの正体
ホームレスに住居と仕事をもたらしたロザンヌ・ハガティ氏ら
大学院で不動産を学んだあと生活困窮者のためのボランティア活動をしていたロザンヌ・ハガティ氏は、1990年ごろ、マンハッタンのど真ん中、繁華街にある荒れ果てたタイムズスクウェアホテルに足を踏み入れた。700室以上あるその歴史的建造物を復元し、ホームレスの人たちの住まいにしようと考えた。 その趣旨を明示してコモングラウンドコミュニティという市民組織を設立して資金を募集し、自らプロジェクトに取り組んだ。当初、難航したが次第に理解者が増え、市役所も協力し、ロザンヌの事業は91年に正式にスタートした。働く気持ちのあるホームレスを入居させ、住まいとして住民登録でき、仕事を得た人たちには相応の家賃を払ってもらうシステムを確立した。 各室には小さいがキッチン、シャワー、トイレが設置されていて日本のワンルームマンションの部屋に似ている。ビルの一角にはアイスクリーム店を開き、そこでも彼らに雇用を提供した。 おかげでタイムズスクウェアの治安もよくなりロザンヌ氏はタイムズスクウェアのBIDという日本で言えば地域センター兼町会兼商店街新興組合のような組織の役員も務めたりした。 ロザンヌ氏は「働きたい気持ちが強くてもホームレスでは就職できない。シェルターも一時的住居で永住権がないから就職が困難だ。まず住居を確定することが大切。ここは期限を定めず住むことができる。住居があればスマホを持つことができる。就職活動ができる」と言う。 タイムズスクウェアホテルには、ホームレスだった人と低所得者とが半々の割合で住んでいる。この建物は歴史的建造物である。だから外形や内装を含め、歴史的価値のある部分を残しながら、生かしながら改装し、利用している。歴史的建造物を残しているという理由で連邦政府の減税措置も受けている。
自らが稼げる形に
入居者が働き始めるので事業に伴う経費の60%は家賃収入でまかなうことができるようになった。この建物のホールをレセプション等に貸して賃料収入を得たり、その他の事業を自分たちで行なったりして25%を稼ぐ。行政からの補助金は、経費全体の5%。企業や財団からの寄付が10%にすぎない。 このモデルが軌道に乗ったのでコモングラウンドコミュニティは次々と事業を拡大し、マンハッタンとその周辺に8軒、1700人分の宿泊施設をもっている(『10万人のホームレスに住まいを』藤原書店)。 ロザンヌ氏らの活動は、ホームレスらに当面のベッドや食料を提供することよりも恒久的な住居や仕事をもたらし生活基盤を確立することに努めた点に特徴がある。彼らから家賃収入が得られるモデルをつくることに成功したため事業を継続し拡大することができた。こうしてロザンヌ氏はアメリカの代表的なソーシャル・アントレプレナー(社会的起業家)の一人となった。 ニューヨーク市の支援局が8万6000人を超す人々を収容していることは驚嘆に値するが、これらの人たちをいかにして職につけるのかが、市役所とニューヨーク市の経済・社会に問われている。恒久的な住居の問題に加えて、言語、職業訓練、マッチングなど課題は多い。
青山 佾