豊岡市が渋谷ヒカリエd47食堂の定食メニューに「詰め込んだ」もの
「もったいない」と言い続けた『サザエさん』オープニング
かつての豊岡といえば、城崎の温泉街と11月から3月にかけての蟹のシーズンが観光の目玉だった。しかし、豊岡にはほかにもまだまだ魅力があるはず。故郷を離れていた田口さんだからこそ、まちの外に魅力が伝わり切らない歯がゆさを感じていたという。とはいえUターン直後の田口さんは市街地から離れた神鍋高原に住んでおり、行政やまちおこしに近い位置にはいなかった。 「アニメ『サザエさん』がオープニングで日本の各地を紹介しているじゃないですか(『日本全国サザエさんの旅』)。豊岡市も取り上げてもらったことがあるんですけど、もったいないように感じました。そこに載ることが目的になってしまっていて、そこから先が設計されていない。どこに届けたいのか、コミュニケーション設計の仕方を考えなくてはと思いました」(田口さん) その想いを胸にしまっていたわけでない。知人や友人と会う機会があるたび、地域が抱える課題に言及し続けた。折しも、豊岡市の行政も地域活性の転換期を迎えつつあった。 「当時の副市長の真野毅さんが、大交流アクションプランを進めていたんです。今で言うところの関係人口を指す、交流人口を大きくすることを目的にした取組です。真野さんは民間企業出身で、公募で副市長に選ばれた方。ある時、僕と真野さんがお会いすることになりました。豊岡はすごくいいまちなんだけれども、PRの仕方やコミュニケーション設計ができていないこと、一つひとつ丁寧に進めていけばプランを実現できることを伝えたんです」(田口さん) 想いをストレートに伝えたものの、すぐには動き出さないだろうと考えていた田口さん。ところが予想は良い意味で裏切られ、翌日には大交流アクションプランアドバイザー就任依頼の電話がかかってきたという。 「副市長から『非常に参考になる話だったのでアドバイザーをお願いしたい。予算はないけれども、市長まで話を通したから来てくれないか』と頼まれました」(田口さん) 田口さんを驚かせた、豊岡市役所の意思決定のスピード感。そんな変化を市役所内で感じていたのが、もう一人のキーマンである谷口雄彦さんだ。豊岡市役所大交流課初代係長を勤め、現在は市長公室長(秘書広報、経営企画、行革・DX推進)として市政運営に注力している。