近江高校の躍進を支えた「7つの班」。高校サッカー選手権準優勝「こんなに細かく仕事があるのか…」部員も驚くその内容とは
1月8日に幕を閉じた第102回全国高校サッカー選手権大会で、3度目の出場となった近江高校(滋賀)は、初の決勝進出という快挙を成し遂げた。『Be Pirates』をスローガンに掲げるこのチームは、様々な面で独自路線を走る。7つの班の活動内容から、前田高孝監督が目指すチーム像、そして教育理念の一端が垣間見える。(取材・文:藤江直人)
●全7班が活動。すべてに共通する活動理念 卒業する3年生と入れ替わる形で、4月には40人ほどの新入生が胸をときめかせながら、全国高校サッカー選手権準優勝の歴史が加わった近江の門を叩く。総勢で120人ほどになる部員のうち、キャプテンと副キャプテンを除いた全員が、必ず7つの班のどれかに振り分けられる。 分析以外の班として、現状でメディカル、広報、企画、清掃、審判、応援が設置されている。すべての班で共通するのは「基本的に自分たちで仕事を作り出す」――。スタッフ陣にやらされるのではなく、自分たちの意思で各班が活動していく過程に意義があると前田高孝監督は力を込める。 「すべての班に共通しているのは、生み出していく作業を一番大事にしている点です。一人一役でチームのために何かをするという経験を積んでほしいのと、あとはサッカーだけではなく、サッカーを取り巻くものもツールにしながら、さまざまなものを学んでほしいという思いもありました。ただ、この仕事は本当に必要なのかとか、逆にこんな仕事があった方が組織として上手くいくんじゃないか、といった議論から始まって、名前が違うだけで仕事内容が似ているから統合してもいいよねといった具合に、これまでもいろいろと試行錯誤してきました。その延長線上で2024年モデルも作っていきたいですね」 分析班以外では、具体的にはどのような活動をしているのか。前田監督が一端を明かす。 ●メディカル、企画、SNS…。多岐にわたる活動内容とは 「例えばメディカル班は、例えば選手のパフォーマンスを上げていくところで摂取する水分量であるとか、足をつらせる選手が多いからこういったストレッチを導入しようといった目配せですね。今回の全国高校選手権では、登録選手の体温と体重を常にチェックしていましたし、その管理をメディカル班が担当している。それぞれの班にはリーダーを配置し、会社で言えば部長や係長といった立場で、リーダーが一人ひとりに仕事を割り振らせる形にしています」 SNSを介してサッカー部を発信する広報班に関しては、表現に細心の注意を払っている。 「Xやフェイスブック、サッカー部のホームページをメインに発信しています。ただ、発信する前に必ず僕たちに送らせています。昨今はSNS上の表現を含めて、リテラシーの部分を気にしないといけない。なので、文章を僕たちが一読してから、最終的なゴーサインを出すようにしています」 昨秋に開催したサッカースクールは、企画班が立案及び運営した。 「フリースクールの子どもたちを招待しました。指導しているときの部員たちは、キラキラした感じで盛り上がって、本当にすごくいい顔をしていました。サッカーを通じてさまざまな交流ができるし、彼らもサッカーをやっていたよかったと思ってもらえれば嬉しいですよね。ただ、もっと回数を積み重ねていきたいんですけど、週末となると試合などでけっこう忙しくて、なかなかできないんですよね」 分析班には仕事を介して、サッカーを見る目が変わってほしいという狙いもある。映像分析ツールのSPLYZA Teamsにしても、近江の監督に就任して間もない2016年か2017年に紹介され、サッカー部に関わる全員の目線を合わせる上でも非常に面白い取り組みだという判断のもとで取り入れた。 ●「全員が寝不足…」妥協を許さぬ分析へのこだわり 「分析班のなかで映像を切り取って、さまざまなミーティングをしていますけど、映像素材に関しては事前に僕が一度見るようにしています。どのような観点からこれを取り上げるのか、といった感じで僕が問いかけるケースもあるので、分析班としても映像を適当に切り取ることはできない。もちろん僕たちも映像を含めた情報を持ち合わせているので、これでディスカッションが本当に白熱するのかとか、これを訴えるのならば何分から何分までの映像の方がいいんじゃないかとアドバイスするケースもあります」 スタッフ陣も独自の情報を持つための作業で言えば、昨年大晦日の初戦から5試合目の決勝まで、すべて中1日で次の試合に臨んだ全国高校サッカー選手権期間中は「全員が寝不足になりました」と苦笑する。 「試合を終えた日の夜から、もう始まっていましたね。そうしないと、翌日午後のミーティングに間に合わない。朝の5時くらいまで分析して、ちょっとだけ寝て朝食を一緒に食べて、そこからまた分析して、練習へ行く道中でもずっとやっていました。ミーティングで彼らに見せた映像をもとに、もう一度おさらいをするので試合前日もなかなか睡眠時間を取れない。試合前の方が覚悟を決めて、あとはシミュレーションをしながら微調整を施すだけになるので、逆にリラックスしていたくらいです」 単なる部活動だけで終わらない近江での3年間を、入学とともに分析班に所属し、2年生では分析班のリーダーを務めた副キャプテンのDF西村想大はこう振り返る。 ●異色の部活動のルーツは前田高孝監督の波乱万丈の半生に… 「入学する前から一応は知っていましたけど、こんなに細かく仕事があるのか、といった点にはびっくりした部分もあります。分析だけでなく、他にもいろいろな班がある点も含めてですね」 他校と一線を画すサッカー部の活動形態は、波瀾万丈に富んだ前田監督の半生とリンクしている。 滋賀県出身の前田監督は草津東高でFWとして活躍し、卒業後の2004年に清水エスパルスに加入した。しかし、左膝に大怪我を負った影響もあり、出場機会を得られないまま2年間で退団した。 2006年にはアルビレックス新潟シンガポールでプレーしたが、Jリーグでプレーしたい思いが高じて帰国。合同トライアウトを受けるもJクラブからのオファーは届かず、2007年には関西サッカーリーグ2部(当時)のMIOびわこ滋賀(現JFLレイラック滋賀)でプレーした。 しかし、コンディションも万全だったなかで、勝負をかけたいという思いが頭をもたげてくる。一念発起して渡った場所はドイツ。知人の知人にドイツ語訳してもらった履歴書だけを手に、プロテストを受けさせてほしいとアポイントなしで訪問し続け、5部クラブとの契約を勝ち取った。 2007/08シーズンのウインターブレイク中に、さらなる高みを目指してルーマニア2部クラブのプロテストを受けた。しかし、清水時代の古傷を再発させたのを契機に、プロ選手だけでなくサッカーそのものを断念。2008年3月に帰国を選んだ当時の心境を、前田監督はこう振り返る。 ●「ゼロからやってみたかった」前田高孝監督が歩む指導者キャリア 「プロで活躍するにはサッカー面だけでなく、もっと人間的な成熟度が足りなかったのな、という感じですよね。いろいろなところにアジャストできるような力がなかったのかなと」 人生をもう一度見つめ直したい、という考えのもとで、予備校通いを経て関西学院大へ入学。夏休みや冬休みを利用して東南アジアのさまざまな国を、バックパッカーとして巡って見聞を広げた。インドでガンジス川に入水したときには腸チフスに感染し、帰国後に発症して隔離された苦い経験もある。 一方で複数のサッカースクールでコーチを務め、その手腕が評価されて現役学生のまま関西学院大サッカー部コーチに就任。卒業後の2013年度からヘッドコーチに昇格し、2014年の全日本大学サッカー選手権大会で準優勝を果たす。それと前後して近江からオファーを受けた。 「関西学院大は伝統もあり、毎年のようにいい選手が集まりますけど、自分としてはゼロからやってみたかった。その意味で、近江に来たのは一人の指導者として自分が生きていけるかどうかの勝負でした」 赴任する前は滋賀県の強豪、野洲に二桁失点で敗れ、学校の強化部にも指定されていなかった近江でスタートさせたチャレンジ。一大決心には東南アジアで見た、市井の人々の生き様も影響していた。 「さまざまな人々が、しっかりと力強く生きている姿に尊敬の念を抱きましたよね。逆にオフィスで働くスーツ姿のホワイトカラーには魅力を感じなくなっていたというか、自分だけの技術と信念を抱きながら、一人の人間として自分の人生を切り開いていきたいと強く思うようになったんです」 近江を強豪校へ育て上げていく決意は、チームスローガンの『Be Pirates』に凝縮されている。和訳すれば「海賊になれ」となる、ちょっぴり物騒に聞こえる言葉に込めた思いは熱く、そして深い。 ●「海賊になれ」に込められた思い「過程にこそ高校サッカーの魅力がある」 「海がない滋賀県のチームが、琵琶湖から大海原に出て行って大暴れしたいという思いを込めました。全国という大海原をどんどん航海していって頂点を勝ち取る、といった大きなイメージですね」 海賊は仲間同士の絆が強く、常に活気に満ちあふれ、どんな相手にも勇敢に立ち向かっていく。7つの海、という言葉に合わせたかのように、分析をはじめとする7つの班に部員たちが所属しているのも、それぞれの活動を介して「絆」の強さを育み、さらに「活気」をあふれさせる相乗効果ももたらす。 新チームが立ち上げられた直後の1月中旬には、SPLYZA社の担当者が近江高を訪れて講習会を開催し、映像分析ツールを使いこなしていく上で必要なノウハウが1年生部員に伝授された。次なる航海はすでにスタートしている。前田監督は「青森山田にはいろいろと教えてもらえた」と目を細める。 「青森山田のサッカーもあるし、僕たちみたいな独自路線もある。いろいろなやり方でトライしてもいいと、あらためて伝えられた思いがありますよね。いろいろなルートを、いろいろな考え方で進んでいく過程にこそ、高校サッカーの魅力があるんじゃないかな、と。新チームに関しても、マイボールは絶対に大事にします。その上で新年度はどのような選手がいて、どのような絵が描けるのか。僕たちスタッフ陣にとっても準優勝で頭でっかちになって、もう一度同じチームを作ると言った時点で色褪せてしまう。その意味でも、追われる立場になった、という感覚はまったくないですね」 新チームの船出を前に、実は思わぬ事態に直面していた。チームスローガンを定めたときから、ユニフォームの左胸に縫いつけてきた『Be Pirates』のロゴに高体連からNGが出されたからだ。 「ユニフォーム規定か何かで、思想や主義を入れてはいけないと選手権後に言われたんですよ」 破竹の快進撃とともに、メディアへの露出が一気に増えた代償と言えばいいだろうか。もちろんウインドブレーカーの左胸に輝く『Be Pirates』はお咎めなし。何よりも近江に関わる全員が心のなかで共有している『Be Pirates』は、唯一無二の羅針盤として大海原を進む航海を支えていく。 (取材・文:藤江直人)
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