【ラグビーコラム】スーッとハード(藤島 大)
このコラムの締め切りは全国大学選手権決勝の数日前に定められた。そこでファイナルに臨む両校の最後のバトルには触れず、ここに2023年度のわが大学ラグビーのヒーローについて書きたい。 天理大学の背番号6。川越功喜。なんと新人だ。天理高校から昨春に入学した。 タックル。あら、もういっぺん。ずっとタックルを決めている。タックルという青春、もしかしたら人生。よしっ。出てきたぞ。またひとり日本列島のフランカーが。 帝京大学に挑んだ準決勝の公式記録の身長・体重は「180/87」。ちなみに関西大学リーグ発行の公式プログラム掲載のそれは「178/80」。若き肉体の突然の成長か。はたまた「戦略的表記」か。なんて実はどうでもよい。 黒衣をまとう6番はサイズを意識させない。変な書き方だが、大きくても小さくても、高かろうが低かろうが、あー、君はこの決戦においていつだって「天理の川越功喜」なのだ。スポーツライター失格の表現なら「凄かった」。相棒の7番、こちらも1年の太安善明も全身これタックル弾のごとし。放送解説しながら、ふたりの姿にしばしば心を奪われた。このコンビはしばらく他校を悩ませる。 知る人はとっくに知っていた。でも白状すると、いまこの行をキーボードに打っているラグビー解説者は帝京戦を凝視して、はじめて「川越、ここまで力があるのか」と気づいた。高校ジャパンなど代表歴がないのが、とたんに不思議に思えた。これ、セレクターでなく、自分に向けて告げるのですが「節穴か」。 黒いスクラムキャップも、どこか痛いのか(この人に痛覚があればの話)右の肘より上を覆うテープも、もともと体の一部に映る。万事、自然体。ボールを受ければ迷わず縦へゲイン。視界に赤い生き物が入れば倒す。 音のしないような選手だ。あまりにも滑らかに激しい攻守に身を投じるので「バチッ」という衝突の響きが聞こえない。スーッとハード。喜怒哀楽を封じる表情がまた心理を読ませない。若いのに憎い。 あわてて経歴を調べる。大阪市立東生野中学出身。花園ラグビー場界隈のファン、関西通は親しみをこめて「トンナマ」と呼ぶ。1966年に創部。過去、有名無名、あまたの人材を輩出してきた。2024年1月2日の国立競技場。天理、12ー22で惜しくも散る。ここにも文句なしの逸材を送り出した。 タックル、ランのみならず、この人は「ボールの真後ろに入る」感覚に優れている。仲間が倒される。ブレイクダウンの中の楕円球に向かって真っ直ぐ、速やかに上体をねじ込む。あるいは、そのまま超える。斜めでなく垂直。いわゆる「ラックの芯を食う」。まるでぐらつきがない。 さらに、よきラインアウトのジャンパーであり、腰を割り、そこから伸びる動作に無駄のない優秀なリフターである。ボールを保持しても、奪いに走り寄っても、怪力の帝京勢に囲まれながら、身体に少しのスキも生じない。 体をぶつけるのが好き。パスをつかむや、次の行動は「より痛いほう」へあらかじめプログラミングされているので逡巡は皆無、したがってチームの同僚を不利にさせず、結果もついてくる。 昨年の1月5日。天理高校は、太安善明主将の際立つ統率で花園ベスト4進出、報徳学園に惜しくも敗れた。朝日新聞にこんな記事が残る。 「天理駅の団体待合所では、パブリックビューイング(PV)が開かれ、県内外から訪れた約60人が試合を見守った」。天理高校の女子生徒3人が取材を受けた。「普段はおとなしい印象」。級友たちは「川越選手」についてそう述べている。 362日後、川越功喜は大スタジアムの芝の上でも静かだった。ただし、おとなしくはない。その反対だ。声荒らげぬ闘争心はスポーツの美徳のひとつである。 【筆者プロフィール】 藤島 大(ふじしま・だい) スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。著書に『ラグビーの情景』『ラグビー大魂』(ベースボール・マガジン社)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジンや週刊現代に連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。J SPORTSのラグビー中継解説者も務める。近著は『ラグビーって、いいもんだね。』 (鉄筆文庫)。