「ベランダで用を足す」認知症の母親を20歳から介護する岩佐まりアナ(40)、記憶から自分が消えても寄り添い続ける理由を明かす
「苦しい思いをいっぱいした」それでも母に寄り添い続ける理由
20代、30代という貴重な時間を母に捧げた岩佐。なぜ「自分のしたい」を犠牲にしてまで母に寄り添うことを決めたのか? 「習い事とか『あれやりたいな』とか『どう思う?』とか、お母さんに聞いても『やりたいことやったらいいんだよ』って。『何やりたいんやったらいいじゃん』っていつも言われてたんです。何か幼い頃からその言葉をずっと言われてた気がする。 幼少期に言われた「自分のやりたいことをやりなさい」と言う母の言葉。岩佐にとってのやりたいことは大好きな母のそばにいることだった。 「なんでこんな事を親のためにっていうのがない。なぜなら、多分めっちゃ親が好きだったんですよ。例えば自分の子ども、すごく可愛いじゃないですか。子どもが病気になったら何としてでも自分が病院に連れて行こう、なんとしても離れてても何度も通って様子を見に行こうって思いません?何か不思議なんですけど、介護をしたいというよりも、母を幸せにしたいなんですよね。だから母を幸せにすることから目を背けたことがないって感じなんですよね。」 さらに、母がふと口にした言葉にも救われていると言う。 「母から暴言言われることとかいっぱいあって、苦しい思いをいっぱいしたんですけどね。でも、あるときふと母が言ったのがね、『まりちゃんわかってるよ、お母さんこんな頭だけど、まりちゃんが一生懸命やってるの分かってる』ってぼそっと言ったんですよ。その後もすぐ忘れてまた暴言吐かれたんですけど、一瞬何かそんな風に言ったことがあって、それをずっと私宝物にしています。きっと母は分かってる。今も。だから私は母を大切にしたい。幸せにしたい。だから暴言を吐かれても辛くないんですよ、もう。」 ただ、母への思いだけでは、どうにもならない時だってある。そうした際には周りの人に頼ることも必要だと言う。 「夜中に何度も家を出ようとするから、私が寝不足になったんですよ。その頃もアナウンサーの仕事に就いていて、翌日ニュース読まなきゃいけなかったんだけど、もう目の下にクマができて周りが心配するんですよね。このままだったらちょっと仕事と介護の両立が難しいな。 私もしんどいと思って(介護支援専門員の)ケアマネージャーに『もう限界かもしれません』って一言、ポチって深夜にメールしました。そしたらケアマネージャーが翌日すぐ連絡くれて、『お母さんをもっとサービスを増やして、人に預けることをした方がいい。もっと自分の時間を作って、もっともっと遊びに行ったりとか、介護から離れた方がいい』って言われたんです。それでショートステイとかで1泊2日とか、毎週お母さんをショートステイに送り出したりとか、デイサービスを週5日、毎日デイサービス行ってもらって、離れる時間を作ったんです。そしたら私が友達とも遊べるし、軽く旅行とかも行けるようになってちょっと楽しくなったんです。それから少しずつちゃんと向き合えるようになってきたかな。」 岩佐は、2020年、37歳の時に一緒に母を支えてくれる地元の男性と巡り合い、結婚。翌年には第1子となる男の子も誕生した。この結婚を機に大阪に移り住んだ岩佐一家は、現在、母と4人で暮らしている。認知症が進行している岩佐の母は、ほとんどの時間を部屋で過ごしているそうだ。 「自分で立つことも、寝返りを打つこともできない。ご飯を食べることも出来なくなって、この前胃ろうといって胃に穴をあけて、管で栄養を入れる。そういう処置をしたところで入院してるんですけど、もうちょっとしたら帰ってこられるかなっていう状態に今はもうなっていて、本当にもう最後の最後の段階に入っていてあともう数ヶ月生きられるのか、何年生きられるのかっていうところです。」 これまで支え続けてきた母に迫るお別れの日。刻々とその時が近づいてくる中、気付かされたことがあると言う。 「最後は亡くなっちゃうんだろうな、覚悟しなきゃいけないなっていうのはもう毎日思ってますけど、不思議と悲しいというよりかは、今までお別れをいっぱいしてきた気がするんですよ。いきなり元気な人を亡くすような気持ちじゃなくて、小さいお別れを常に日ごろからやってきて、今残っているのは小さな最後のお別れって感じがします。去年父を亡くしたんですけど、その時、本当元気だったのに、ある日倒れて亡くなっちゃって喪失感がすごかったんですけど、母も亡くなるんだろうなって思ったときに、父みたいなそういう喪失感はないような気がして。いっぱいもう見送ってきた気がします。それだけいっぱい泣いてきたんですよね。失くしていく母を見てきた。1つ1つ。」 20歳から始まった介護の日々。その20年間を振り返った今、岩佐が思うことは? 「私ね、諦めたことは、確かに合コン行けなかったりとか、遊ぶ時間が少なくなって、そういう諦めはもちろんあるんですけど、『やりたいことはやりなさい』っていつも言ってた母の言葉を大事にして、やりたいことを全部やれるように努力してきたんです。介護をしながら。だから、あんまり諦めたものがそんなに多くないんですよ。確かにお金はいっぱい使ったし、自由な時間というのはもう本当になくなった。だけど、やりたいことはやる。仕事は絶対にやる。結婚だってしたい。子どもだって欲しい。そういうのは全部叶えようと思って。それを叶えるためには全部私が母の介護をするわけじゃなく、母は他の人に見てもらう、そういう時間も作らなきゃいけないと思ってました。私が好きなことをやるってことは母が絶対に望んでいるから。私に幸せになって欲しいから。だから私は自分を犠牲にはしないって思ってきた。だから飲み会は行けなかったよ、それはそう。でもね、良かったんじゃないかな。逆に飲み会には行けなくて、友達は減ったけれども、残ってる友達との関係がすっごい深いんですよ。だから逆に得たものがいっぱいある気がする。長い介護生活20年ですね、考えたら。でも介護をしてなかったより、してた生活の方が人生が濃くなったかなって思うから介護してよかった。」 (『ABEMA NEWS』より)
ABEMA TIMES編集部