第25回 アッという間にスタートしたドラフト制度 vs 巨人、阪神が賛成した思惑|「対決」で振り返るプロ野球史
当時の戦力不均衡は現在と同じような程度で、問題は近鉄や阪急の努力不足
65年11月17日、東京・日比谷の日生会館で行われた第1回ドラフト。この時は報道陣には非公開だった
1965年にスタートしたドラフト制は、日本のプロ野球には欠くべからざる一大イベントとして定着しているが、この制度をスタートさせたのは、暴騰する新人選手の契約金(5000万円が常識となっていた)を抑えること。特定の球団に有力選手が集まり、下位チームとの実力差がはなはだしくなり、ペナントレースの興味が薄れるのを防ぐ、つまり戦力の均衡化を図ること。この2つが大きな理由とされた。 この2つの理由、一見「なるほど」なのだが、当時の状況を考えてみると、あまり説得的ではない面がある。 西鉄の西亦次郎代表がドラフト制導入を提案。パ・リーグのオーナー懇談会が、西代表の案を全員一致で了承、セ・リーグにも呼びかけることにしたのが1964年7月24日。これは、シーズン半ばのことだが、64年の両リーグの優勝チームはセ・リーグが阪神、パ・リーグが南海だった。ここから4年さかのぼった60年からのVチームを挙げるとセは大洋、巨人、阪神、巨人、阪神。パは大毎、南海、東映、西鉄、南海。この5年間で連覇したチームはないのだ。ドラフト制になってからの巨人のV9(65~73年)は、どう説明できるのだろうか? もちろん、ドラフト以前に入団した選手が活躍したことが大きいのだが・・・
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週刊ベースボール