仮設住宅で焼く、亡き父が喜んでくれたチーズケーキ…輪島を離れた姉と週1で電話
彩さんにとって、浩幸さんは友達みたいな存在だった。彼氏ができたとき、真っ先に教えたら「おー」と驚きつつ応援してくれた。
元日は家族全員で昼ご飯を食べた後、彩さんだけが商業施設へ出かけていた。冷たくなった父と翌朝、病院で対面した。今も思い出すと涙があふれる。
浩幸さんの誕生日だった6月24日も、陽雅君の声が聞きたくなった。電話すると、相変わらずの弟でほっとした。ビデオ通話の画面の向こうには、いとこの結婚式で一張羅を着た父の写真が置かれている。花束とともに、たこ焼きやミートソースパスタも添えてあった。どれも父の好物だ。
「ママの料理を見たら、久しぶりに食べたくなったよ」。余計に寂しくなる気がして、その一言はのみこんで電話を切った。
2人と話すとき、彩さんは輪島を近くに感じる。8月には帰省する予定だから、それまでは電話で我慢しようと、自分に言い聞かせる。
中学校では進路の希望調査が始まる頃で、陽雅君は「お金がかからないから」と公立の輪島高校を志望する。高校卒業後は地元で働くつもりだ。奥能登には大学がなく、進学すれば母を残して行くことになる。
ウィルマさんが「ママは大丈夫。金沢の大学に行っていいよ」と話すと、陽雅君は「遠いから無理」とむきになって言い返した。
(平松千里)
これまでの経緯
陽雅君が浩幸さんと居間のこたつに入っていた時に地震が起きた。落ちてきた天井を父の体が支えたことで、押しつぶされずに済んだ。彩さんは東京で寮生活となり、栄松さんは別の場所で避難生活を送る。陽雅君はフィリピン出身の母ウィルマさんを支えながら、輪島市で暮らす。