洞窟で遭難した「タイの少年サッカーチーム13人」の救出のため集まった「100を超える国家の人々」…赤の他人のために犠牲さえも払う「人間のモラル」の謎
「協力」できるのは「人間の家畜化」が原因?
人間はモラルがあるからこそ、全世界が協力し、遭難した他人を救うために、犠牲さえも払う。では、なぜそれが可能なのか?人間の遺伝子の99パーセント以上がチンパンジーやボノボのそれと同じなのに、彼らは数百万年変わることなく小さな集団で生活し、こぶし大の石で木の実を割る程度の知恵しか持ち合わせていないではないか。 その答えの一部は、これまで見てきた人間の自己家畜化と関係している。暴力的・攻撃的なメンバーをとことん選択から外すことで、人類はほかに例を見ないほど平和好きで、規律正しい集団になった。死刑の可能性が矯正力となって、文字通り私たちのDNAを温和なものへと書き換えた。 しかし、懲罰の影響は、史上最も温厚な霊長類を生み出すだけにとどまらなかった。懲罰という社会的制裁の実践を通じて、非協力的な行動に対する反感が社会に育まれていった。 すでに指摘したように、協調性の進化という考え方の一番の問題は、その不安定さだ。個人間のあらゆる交流において、自分は相手に対して協力すべきか、すべきでないかという問いに直面する。協力には必ず代償が伴う。他人を助けることは、あるいは搾取しないことは、利益に反する。進化論者の言葉を使えば「不適応」なのである。
大集団の場合
ウィリアム・D・ハミルトンの「包括適応度」やロバート・トリヴァースの「互恵的利他行動」の考えを用いることで、なぜ単純な協力形態が生き残れたのかがわかる。血縁関係が十分に近い、あるいは再会する可能性が高い場合は、遺伝的に近い関係の他人や、将来の協力相手を助けるほうが、結果として有利になる。 しかし大規模な集団では、基本的にこの2つの条件が満たされることはないため、協力関係を促すにはさらなる動機が欠かせない。 ここで、集団が大きくなればなるほど、協力による恩恵を同じグループのメンバーだけに与えるのが―たとえ彼らのほとんどが同じように協力的でも―難しくなる、という緊張が生じる。これが逆説的な結果をもたらす。 大集団の場合、非協力的な者は、協力をしないことから利益を得ると同時に、他人の協力からも恩恵を受けるため、結局は必ず非協力者が有利となり、次第に数を増していくのだ。そして時間が経てば経つほど、非協力(非参加)戦略が優勢になっていく。 したがって、少数の協力者が数を増やし、最後には優勢になるには、非協力者の数が多すぎてはならない。非協力者が多すぎると、構造全体が崩壊してしまう。 『非人道的な「纏足」や「性器切除」のような規範すら成立させてしまう…人間特有の「利他的懲罰」を生んだ「驚愕の」シナリオ』へ続く
ハンノ・ザウアー、長谷川 圭
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