なぜ北の魚サケが香川の特産品に? 「ご当地サーモン」が養殖率の低い日本漁業で起爆剤と期待されるワケ
■三陸で行われてきた日本のギンザケ養殖はチリに抜かれたが…… 日本のギンザケ養殖は三陸で行われてきた。岩手県と宮城県の内陸部の養魚場で稚魚を育て、海水温が下がる10月末に宮城県の海面養殖場へ移し、4月~8月の出荷時期まで飼育する。発眼卵は当初米国から輸入していたが、防疫上の観点から輸入が禁止され、北海道にある2カ所の養魚場で飼育した稚魚を用いるようになった。 1992年のピーク時には2.2万トンを生産し600円台/kgで出荷していたが、品質・価格面で後発のチリギンに押され、生産量は半減、価格も400円台/kgに下落していた。ところが意外なことがきっかけとなり、サケ養殖が再び、日本全域に広まっている。 ■ブームの「ご当地サーモン」は東日本大震災がきっかけに きっかけは2011年の東日本大震災だった。東北と言っても内陸部の養魚場の被害は限定的で、ギンザケの稚魚はまだ生き残っていた。3月に大震災が起きたので、翌4月から出荷を始めようにも宮城県の海面養殖場が使えない。そこで緊急避難的に稚魚を新潟県の佐渡島の海面で受け入れてもらうこととし、宮城県の技術者もかけつけて育成を試みたところ、出荷サイズに育った。 「何だ、日本海側でも養殖ができるじゃないか」ということで、翌年には鳥取県の境港も被災地の稚魚を受け入れてサケ養殖を始めた。サケ産地ではなかった場所でサケを生産することから、「佐渡サーモン」とか「境港サーモン」などと産地名を付して販売されている。
■香川県の冬の海水はサーモンの養殖にぴったりだった 一方、岩手県で生産した行き場のないニジマス稚魚を緊急に受け入れたのは香川県である。同県ではハマチ養殖が盛んだが、海水温度が15度を切る12月~5月に養殖できないというハンデを背負っていた。サケは寒い所の魚だから、15度以下が適温である。そこで、ハマチを引き上げた後、遊休している養殖いけすで試験的に飼育してみたところ、育った。1つの養殖いけすで2種類の生産物を生産するので二毛作である。漁業の二毛作という物珍しさも手伝って、「讃岐さーもん」という商品名とともに注目を集めている(2024年4月から「オリーブサーモン」に呼称変更)。 ご当地サーモンは2022年4月現在、北海道から鹿児島県まで全国で78ブランドが生産されている。2018年4月に『月刊養殖ビジネス』誌が「ジャパンサーモン市場の幕開け」いう特集を組んだ時点では50ブランドだったので、4年あまりで28ブランド増え、自然の海や池、海水を使わない陸上養殖も数カ所で始まっている。 養殖されるサケの種類はギンザケ、ニジマスが中心で、他にサクラマス、イワナ、大西洋サケ、キングサーモンも養殖され始めている。産地によってサケの味にそれほど違いが出るわけではないが、餌を工夫したり異種を掛け合わせてハイブリッド化したりして、どこも地域色を出そうとしている。マスコミでも時折ご当地サーモンの取り組みが紹介されることから、今後も供給地が増え、需要面でも旅先でご当地サーモンを食べるとか郷里のサーモンを取り寄せるなどと広がりが出て、市場が拡大すると期待される。 ■なぜこれまで宮城県以外はサーモンの養殖をしなかったのか ご当地サーモンは、漁業起死回生の1つの起爆剤になるだろう。それにつけても不可解なのは、なぜ今までサーモン養殖に手を出さなかったのかということだ。 日本人は自らチリでのサーモン養殖に進出し、ノルウェーの大成功を見ていながら、そしてサケを好んで食べる厚い消費者層がすでに存在することがわかっていながら、国内のサケ養殖は宮城県の銀ザケのみに留まっていた。サケの天然資源に恵まれすぎて養殖しようと思わなかったのか、北の魚だから魚類養殖の盛んな西日本の養殖業者の目に止まらなかったのか。自由に養殖種目を変えられない日本の漁業権制度にも原因はある。