凶悪犯「金嬉老」は獄中でやりたい放題で女囚と“交流”までしていた 犯罪者を助長させたメディアの罪
1968年、2人を殺害し、人質をとっての立てこもり事件まで起こした金嬉老(きんきろう)に、NHKをはじめとする当時のメディアが手玉にとられた様子については前編〈「2人殺害後、立てこもり」犯の言いなりになっていたNHKと新聞 金嬉老事件を巡るメディアのいい加減さ〉で詳報した。 【写真を見る】韓国で人気者となる「金嬉老」 韓国政府から助力を得て釜山で新生活をスタート 静岡県警のK刑事に差別的な物言いをされたことが犯行の動機だと金は主張。凶悪犯罪の動機としては到底理解できない言い分なのだが、NHKや新聞はその言い分を垂れ流すのみならず、K刑事の「公開謝罪」を生放送で5回にわたって放送したのである。 ある種のメディアは、時に犯罪者に不要なシンパシーを示すことがある。 元産経新聞記者の三枝玄太郎氏は、著書『メディアはなぜ左傾化するのか 産経記者受難記』で、警察庁資料などをもとに、この問題について解説している。 その資料によれば、「犯罪者とメディアの密着ぶり」は驚くべきレベルに達していたようだ。さらに「民族差別」を訴える金への特別扱いは逮捕後も存在していたようだ(以下、同書をもとに再構成しました)。 ***
事件当時は、中央大学の教授や作家、弁護士、牧師、在日本大韓民国民団(民団)の本部長らがふじみや旅館(注・金が立てこもっていた旅館)に泊まって、金を説得したが、「金に迎合する点、見受けられる」と警察庁資料に記されている体たらくだったようだ。 旅館の前は「私が金嬉老を説得する」と主張する野次馬でごった返しており、ライフル銃を発砲するほか、ダイナマイトを身体に巻いていた金に静岡県警は手が出せず、事実上、金の言いなりになっていた。資料にはこうも書かれている。 「21日TBSがヘリコプターを現地へ飛ばして取材し、これが特ダネ扱いとなり、また金の要求に応じて静岡新聞とNHKの記者が会見したことから、各社は競って空から、あるいは検問を避けて山道伝いに、記者やカメラマンを大間地区(筆者注・事件現場)に送り込むという状況になった。このため、現地奥泉及び大間地区には、警察側の警告、制限を無視して200名以上(奥泉約100名、大間約120名)に及ぶ報道関係者が入り込み、その取材合戦は全く激烈を極めた。(略)金は23日から『新聞を見せろ』と要求し、説得者その他から金が新聞を入手する可能性も強くなったので、新聞記事が金を強く刺激することを恐れて現地の記者の引揚げを要求したが、ほとんどこれを無視し現場に居残った」