<甲子園交流試合・2020センバツ32校>青バットと次のステージへ 明豊の鶴聡太マネジャー
17日閉幕の2020年甲子園高校野球交流試合。選手たちは憧れの甲子園でそれぞれの「高校野球」を締めくくった。選手だけではない。チームでただ一人、ユニホームでなく、制服姿で校歌を斉唱し、節目の階段を上ったのが明豊(大分)の鶴聡太マネジャー(3年)。交流試合を通じて感じた仲間たちの思いをかみ締め、新たなステージへ一歩を踏み出した。 【真夏の熱闘】交流試合の写真特集はこちら 野球を始めたのは小学2年。小中を通じて投手と捕手の兼任で活躍し、主将も務めた。強豪校の明豊に進学後は捕手として甲子園を目指した。だが、腰を負傷して思うように練習ができず、試合で活躍する仲間に嫉妬も覚えた。「『けがをした選手』で終わるより選手をサポートしないか」。1年の秋、木原裕飛副部長に誘われた。マネジャーを置かないのが慣例の同校野球部では異例の提案だった。 「俺が今から頑張っても、追い付けないってことか」。昨夏にようやく提案を受け入れたが割り切れなさはついて回った。しかし、秋の九州大会でチームが12年ぶりに優勝。センバツ出場がほぼ確実となり、心のしこりは一気に吹き飛んだ。「日本一を目指すチームの日本一のマネジャーになる」 ノックの練習をし、公式でも練習でも試合では選手の記録を付け、審判や自主練習の補助も買って出た。それだけにセンバツの中止決定には肩を落とした。「俺は何の力にもなれなかった」。しかし、仲間は彼の頑張る姿をしっかりと見ていた。「ここまで来られたのはお前のノックのお陰。鶴への恩返しだ」と新品の青いノックバットを手渡された。 その後、新型コロナウイルスの影響による部活動休止や夏の大会の中止など試練を乗り越えて迎えた11日の交流試合。攻守で持ち味を発揮して県岐阜商を4―2で降した。勝利後、レギュラーから「自主練付き合ってくれてありがとう」と声をかけられた。帰路のバスでLINEを見ると「相談に乗ってくれて助かった」「今までありがとう」とメッセージが届けられていた。「最後の最後まで自分の頑張りを認めてもらえて報われた」。涙がこぼれた。 ◇大学で学生コーチ 記録員として甲子園のベンチに入った。「これで高校野球を後悔することなく終えられる」と晴れ晴れした鶴さん。卒業後は県外の大学の野球部で学生コーチを務める予定だ。「これからも選手をサポートして、今度は鶴が恩返ししたい」。新しいステージでも仲間から贈られた青バットでノックを打ち続けるつもりだ。【河慧琳】