初出場の全日本大学駅伝でシード権獲得の立教大学 キャプテン安藤圭佑は箱根に向けて「ここは通過点」
全日本大学駅伝で立教大は7位に入り、目標だったシード権を獲得した。 このレースでシードラインを越え、シード権獲得に貢献したのが、7区の馬場賢人(3年)と8区の安藤圭佑(4年)のふたりだった。このエースとキャプテンの快走がなければ、目標を達成することは難しかっただろう。7区、8区で、彼らはどんな走りを見せ、シード圏内へとチームを導いたのだろうか――。 レースは、順風満帆に進行したわけではなかった。 1区の吉屋佑晟(3年)は6位で好スタートを切ったが、2区、3区と崩れ、4区の稲塚大祐(4年)に襷が渡った時点では順位が14位だった。シード圏内の8位が遠く離れていくなかで、安藤はそれでも必ず上がってくると信じていた。 「1区がスタートした時から今日はいい順位でくるんじゃないかと期待して見ていました。実際、吉屋が頑張ってくれて、いい順位でつながったのですが、そこから順位が落ちていきました。でも、不思議と焦りとか不安とかはなく、どこかで巻き返してくれる、絶対にシード権内の順位でくると信じていました」 流れを変えたのは、4区の稲塚大祐(4年)だった。 箱根駅伝予選会は大会2週間前に故障し、出場をキャンセルした。その後、全日本に向けて調整し、状態は半分程度にしか上がらなかった。それでも区間7位の走りで順位を12位に上げた。この時、8位の中央大から立教大までの差は53秒だった。 続く5区、6区もうまくつなぎ、当日変更で入れ替わった7区の馬場に襷が渡った時は11位でシード権内の8位中央大とは41秒差だった。 「シード獲得のためにはもういくしかない。攻めていくぞという気持ちでした」 馬場はそう覚悟を決めて出走した。
序盤から勢いのある走りを見せ、すぐに日体大、中央大、帝京大、東京国際大がいるグループに追いついた。 「自分の設定タイムとかは監督に言われて、頭の中に入っていたんですけど、シード権を争うチームがすぐ目の前にいたので、あそこまではいくしかないと自分で考えて、突っ込んでいきました。前とどんどん近づいていったので、それが自分のパワーになりました。追いついてからは一度、休むことができたので、この集団でいけるところまでいき、後半にしっかり上げていこうと考えていました」 東京国際大が早々に脱落し、7キロ付近では、中央大、日体大、帝京大で7位集団が形成された。10キロ過ぎに中央大が落ちて、日体大、帝京大、立教大の3チームで7位、8位、9位を争う展開になった。 この時、馬場は余裕があったという。 「途中からラストまでは帝京と競り合う感じになったんですが、まだ余裕がありましたし、前へ、という気持ちも強かったです。このまま8区まで7位でいくんだという思いで走っていました」 馬場は立教大ではエースだ。 自らも「エースの自覚を持ってチームを引っ張っていきたい」と語っていた。だが、今季は関東インカレ(2部)10000mで14位、全日本の予選会ではエースが集う4組で20位ともうひとつ乗り切れていない状態が続いていた。転機は夏合宿だった。走り込みなどしっかりと練習を消化することで走力が上がり、箱根駅伝予選会では63分56秒で総合15位、チームトップの成績でトップ通過に貢献した。そして、今回7区では、シード権獲得に貢献する走りを見せ、髙林監督も「流れを変えるエースらしい走りを見せてくれた」と、馬場の成長に目を細めた。レース後、馬場は喜びを?みしめいていた。 「自分の走りとしては、まぁ満点というか、高い得点をあげたいんですが、区間4位ですし、同じ大牟田高校の先輩の太田(蒼生・青山学院大4年)さんに1分(64秒差)以上やられていますからね。区間賞も獲れなかったので、まだまだだなと思います」 馬場の目の先には太田や篠原倖太朗(駒澤大4年)がいることを考えると、この先の成長により期待が膨らむ。 その馬場の好走を8区の中継所で安藤はアップしながら聞いていた。 「7位に上がって、もうこれはいけるって思ったので、本当に気合いが入りました。最後、ババケン(馬場)が入ってきて、後ろの選手との差を見た時、自分のところで絶対に勝ちきってやると思いました」 安藤は7位で襷を受けると、25秒差で帝京大が続いた。だが、3.1キロ過ぎに小林(大晟・帝京大4年)に追いつかれ、前を行かれた。 「この時は絶対に離れないと思っていました。その後も自分が前に出たり、戻ったりしたんですが、後ろで走っている時は休んで、余裕が出てきたら自分のリズムを作って走れた。ここで崩れずに走れたのが非常に大きかったと思います」