「三途の川が見えた」喋ることも食べることもできない…余命わずかの森永卓郎(67)が直面した「慣れないがん治療の辛さ」→「それでも復活できた理由」
「気つけ薬」の効果は…
膵臓がん用の抗がん剤は絶望的に私の体質に合わなかったが、気つけ薬のほうは奇跡的に大当たりだった。点滴を受ける前は意識が朦朧としていたのだが、翌日の朝には思考能力が回復し、喋ることもできるようになった。 ただ、私は直後から東京の総合病院に2週間の入院をすることになった。がん治療のためではない。 抗がん剤でボロボロになってしまった体を、治療に耐えられるところまで回復させるのが目的だった。 その病室で次男に口述筆記をしてもらい、『書いてはいけない』は完成することができた。ただ気力が戻り、思考に余裕が生まれたのか、やっておきたいことが次々と頭に浮かんできた。 優先順位の一位は獨協大学経済学部の教授としての責任を果たしたいというものだ。獨協大学経済学部では、1年生の秋にゼミ生の選抜が行われる。 森永ゼミも、すでに選抜を終えていたが、ゼミが始まるのは2年生になった4月からだ。だから、その時点では、森永ゼミの新入生には、私は一度も授業をしていなかった。 「すでに仲間入りした新入生を放り出すわけにはいかない」と私は考えたのだ。 しかしゼミ生にモリタクイズムを叩きこむのには少なくとも半年はかかる。とにかく半年は生きてゼミの活動を続けたいと、強く思ったのだ。
森永 卓郎/Webオリジナル(外部転載)