中村橋之助「めちゃくちゃデブだったんです」叔父・勘三郎の言葉に奮起し必死でダイエット「間に合わなかったことが、本当に残念」
三代目中村橋之助(現:八代目中村芝翫)と、‘80年代にアイドルとして大活躍した三田寛子の長男として生を受け、4歳で初舞台を踏んだ四代目中村橋之助。29歳にしてすでに2度の大きな転機があったという若手歌舞伎俳優のTHE CHANGEとは――――【第1回/全3回】 ■【画像】「めちゃくちゃデブだったんです」と笑顔で語る中村橋之助 「ぼく、中学生くらいのときは、めちゃくちゃデブだったんですよ」 歌舞伎公演中、昼公演と夜公演の間の貴重な休憩時間に取材に応じてくれた中村橋之助は、若手歌舞伎俳優らしい上品な佇まいで、意外な過去を語り出した。 「ぼくは、歌舞伎が大好きな子どもでした。うちは祖父や父をはじめ、親戚のほとんどが歌舞伎役者で、普段は優しく遊んでくれる人たちが、舞台に立つとすごくかっこよくて、自分もあんなふうになりたい、あの役をやってみたいというのが、夢でした。でも、歌舞伎と同じくらい運動と食べることが大好きで、ふと気づいたら、めちゃくちゃ動けるデブになっていたという……」 最高体重は、中学2年生のころの95キロ。しかも当時は身長が160センチに届いていなかったというのだから、相当なものである。 「とにかく食べる量がとんでもなかったんですよね。夕食で、2歳年下の弟(三代目中村福之助)と2人でごはんを5合食べていましたから(笑)。ですから父親用の炊飯器は別にあって、絶対に手を付けちゃいけないと母からきつく言い渡されていました」
「このままだったらお相撲さんの役しかできないよ」
しかし、自分ではまだそれほど太っているとは思っていなかった。 ところがあるとき、衝撃的な言葉を聞くことになる。 「(故・中村)勘三郎の叔父から“クニ(本名・国生)は歌舞伎が大好きで、すごく勉強しているのも知ってるけど、このままだったらお相撲さんの役しかできないよ”と言われたんです。忘れもしない、ゴルフ場でした。うわぁ、ぼくは父がやっているあの役も、この役もできないんだと思ったら、足の力が全部抜けるくらいのショックで……。でも叔父が“ちゃんと身体を作ったら、お稽古をしてあげる”と言ってくれたのを励みに、そこから必死でダイエットをしたんです」 まずは、食事を普通の量に。なによりも好きな白いごはんは我慢して、野菜や肉でおなかをいっぱいにした。 尊敬する勘三郎の叔父から稽古を付けてもらって、憧れの役を演じられるように……。 「ちょうど背が伸びる時期だったこともあって、高校2年生になるころには普通の体型になっていきました。でも……」 2012年、病に倒れた中村勘三郎は12月5日、惜しまれつつこの世を去る。 「間に合わなかったことが、本当に残念で仕方がありませんでした。だけど、中学生のあのとき、勘三郎の叔父が言ってくれなかったら痩せようと思わなかっただろうし、そうしたら今、こうやってさまざまな役を演じさせてはもらえなかった。あの言葉が、歌舞伎役者・中村橋之助へと続く、大きな転機でした」 2016年、「中村国生」は、父親が36年間名乗っていた「中村橋之助」を襲名。歌舞伎俳優として、幼いころに憧れた役を演じると共に、テレビドラマやミュージカルにも活動の場を広げ、2025年は初主演映画『シンペイ~歌こそすべて』が公開になる。 中村橋之助(なかむら はしのすけ) 1995年12月26日、東京都生まれ。2000年9月、歌舞伎座で初代中村国生を名乗って初舞台を踏み、2016年10-11月歌舞伎『一谷嫩軍記』で四代目中村橋之助を襲名。2009年1月に国立劇場特別賞、2015年3月に国立劇場奨励賞を受賞。歌舞伎舞台のほか、『オイディプスREXXX』(2018年)『ポーの一族』(2021年)『サンソン-ルイ16世の首を刎ねた男-』などのミュージカルにも出演。『2019年に『ノーサイド・ゲーム』で襲名後初のテレビドラマ出演。2025年1月10日公開『シンペイ~歌こそすべて』で映画初出演にして初主演。 工藤菊香
工藤菊香