早起きして食べに行きたい!ボリュームたっぷり&お得な岐阜市のモーニング
岐阜県岐阜市(以下岐阜市)は喫茶文化が盛んであり、なんと大正時代からその文化の流れが始まっていたと考えられています。 今回は岐阜市の喫茶文化の始まりと、朝からがっつり食べたい人におすすめのモーニングがいただけるお店もご紹介。時代とともに、喫茶文化の流れを創り、モーニングの街になった歴史的背景について迫ります。
岐阜市の喫茶文化の歴史
岐阜市の喫茶文化の始まりは大正8年(1919年)。柳ヶ瀬で開催された内国勧業博覧会で、初めて本格的なブラジル料理が提供されたことがきっかけ。以来、柳ヶ瀬では珈琲を扱うお店が増え始め、純喫茶の草分け的存在となる「カトー」が開業します。 昭和初期には「淳子の家」「ビクター」「たつみ」「ミッキー」そして、大手菓子店が経営する喫茶店などが開店。柳ヶ瀬のカフェ全盛期を迎えます。 戦争で柳ヶ瀬は焼け野原になりますが、終戦後いち早く復興を遂げます。戦争の影響で中断されていた珈琲の輸入も昭和25年(1950年)には再開され、再び多くの喫茶店が軒を連ねるようになりました。 昭和30年代に入ると喫茶店人気が高まり店舗もさらに増加。単に珈琲を楽しむだけではなく、「音楽喫茶」のような娯楽性を併せ持つ喫茶店に人気が集まりました。 大正時代から喫茶文化のさきがけとして多くの人たちから愛され続けてきた喫茶店は、人々の生活になくてはならないものになりました。
モーニングサービスが始まった岐阜市の歩みとは?
岐阜市の喫茶文化はアパレル産業の発展を抜きには語れません。戦後、食べ物や衣類などの物資が乏しい中、国鉄岐阜駅前に食料や古着などを持ち寄り販売する商売が増加していきました。その後、古着ばかりではなく、布を愛知県の一宮や岐阜県の羽島から仕入れ、新しい服を製造販売するアパレル産業が始まります。 これに伴って、全国各地から仕入れ業者、納入業者、一般消費者が集まります。そんな人たちが商談の場や休息の場として利用した場所が喫茶店だったのです。 喫茶店も朝早くから夜遅くまで営業し、朝早くやってくる業者のために、サービスでピーナッツとゆで卵をつけたのがモーニングサービスの始まりとも言われています。モーニングサービスは朝早い時間から仕事を頑張っている人たちへの応援の気持ちを形にしたのでしょうか。