藤原氏に利用され恨みを買った「文武天皇」の悲哀
文武天皇の哀しみに思いを馳せてみては(中尾山古墳。まるえつさん撮影、以下同)
奈良県高市郡明日香村の8世紀初頭の中尾山古墳が、第42代・文武天皇(683~707)の陵墓だった可能性が高まった。明日香村教育委員会と関西大学の調査によって墳丘が3段の八角形だったことが確かめられた。7世紀以降の天皇陵の形だ。文武天皇の祖父母、天武天皇と持統天皇が合葬された野口王墓(のぐちのおうのはか)も、八角形だった。 2020年11月28、29日に開かれた現地説明会には大勢の歴史愛好家が集まり、注目を浴びているが、文武天皇の悲劇的な人生に思いを馳せた人は、どれほどいたのだろう。 文武天皇(珂瑠=かる=皇子)は影の薄い帝だが、大転換期の「支点」になったと言えば、理解していただけるだろうか。
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関裕二