「ガッツ石松か、小田茜か」地元がお祭り騒ぎになった国民的美少女コンテストGP秘話
「いちご白書」で初主演
コンテストの翌91年には、NHKの大河ドラマ「太平記」に出演させていただきました。主演は真田広之さん。もう、オーラが違いましたね。共演して、あの空気感をともにできたのは財産です。でも、急に抜擢されて、もちろん葛藤はありました。こんな人と互角にお芝居なんてできないよ、と。私はやっぱりダメなんだ、やっぱりできないんだという思いは強まりましたね。でも、やらなきゃ、頑張らなきゃというという葛藤でした。 思うように結果が出せず、10代は苦労していました。でも、悩んでいる暇もないくらい忙しかったです。 2年後の93年にはドラマ「いちご白書」で初主演しました。14歳、中学2年の時です。もう、とにかく大変でした。盛大に記者会見が行われて、質疑応答があって、主役なので挨拶もしなければいけません。本音を言えば、もう逃げたかった。私には本当にプレッシャーでしかなかったです。 「いちご白書」では、TOKIOの松岡昌宏さんが彼氏役でした。昨年、松岡さんと再会して、当時のことを色々話しました。私はあまり詳細に覚えていないのですが、ある時、本番が終わった後、泣き出しちゃったみたいで……。松岡さんから「困っちゃったよ」と言われました。いろんな意味で、鍛えられた現場でした。 親友役は安室奈美恵さんでした。彼女はとっても細くて顔も小さいのに、ご飯を食べていなかったんです。お昼休憩で弁当が配られたのですが、スタジオの片隅でずっとダンスレッスンをされていました。「ご飯、食べた?」と聞いたら、「食べてない」というから、「どうして、食べないの?」と聞くと、「ダイエットする必要があるんだ」と言うんです。常にダンスの練習をしていて、そのストイックさには本当にビックリしました。 今年は「不適切にもほどがある!」というドラマが話題になりましたが、当時、芸能界で“不適切なこと”は、ほとんど感じなかったですね。まだ、10代の子どもでしたから、いい意味で隠されていたかもしれません。栃木から新幹線で通っていましたし、歌手デビューもしたりして、とにかく、自分のことで精いっぱいで、ほかの人を見る余裕はありませんでしたね。 「国民的美少女コンテスト」でグランプリを取った時は、地元・栃木はお祭り騒ぎでした。当時、栃木県出身のタレントさんって本当に少なかったんです。よく聞いたのが、「栃木と言えば、ガッツ石松か、小田茜か」って(笑)。今はたくさんのタレントさんが活躍されていますが、当時は本当に珍しかったようです。ガッツさんとはドラマで共演しているんですが、その時に「同郷なんです」と伝えました。 今も「国民的美少女」と言われるのは、すごくありがたいこと。光栄ですね。私の原点ですから。80歳になっても、元「国民的美少女」と言われるように頑張っていきたいですね(笑)。 前編【「国民的美少女」小田茜 結婚、出産、移住、離婚を語る「本当に普通の主婦でした(笑)」】からのつづき デイリー新潮編集部
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