「ほとんど成功しないから」。元厚労相が医大生時代、匿名の精子提供に応じた経緯とは 出自を知る権利をどこまで認めるべきか―。70年近くたっても割り切れない考え
坂口氏は「『めったに成功しないから』という言葉は学生を安心させるだけでなく『だったら提供しようか』という気持ちにさせたことは事実」と振り返る。「後から提供者と明かされないか、自分だけでなく他の学生も思っていたと思う」と当時の心境を述べた。 坂口氏は取材の中で、現在限られた施設で実施しているAIDについて「もし名前などが明かされることになれば、提供者は確実に減るだろう」と戸惑いも口にした。かつてAIDは親の立場から考えられていたが、子の立場から考えられるように視点が変わったと感じているという。「出自を知る権利を一体どこまで提供者に求めることができるのか、自分の中では考えが割り切れていない」と率直な気持ちを打ち明けた。「今まで子どもの立場で考えたことはなかった」 ▽初の実名証言 AIDを巡っては、過去の文献や関係者の証言から慶応大の他に、札幌医大、新潟大、三重県立大(現・三重大)、京都大、京都府立医大、大阪市立大(現・大阪公立大)、広島大の7大学病院が1950~1980年代に実施していたことが共同通信の取材で判明しており、三重県立大はこのうちの一つ。AID実施について三重大病院は取材に「回答を差し控える」としている。
AIDの実態調査などに取り組んできた長沖暁子・元慶応大准教授(科学社会学)は「国内で実名での精子提供の証言は初の事例ではないか」とみる。「提供者への十分なインフォームドコンセントがないまま、医学部内の上下関係がある中で、断りにくい状況で行われていたのが実情だったのだろう」と指摘する。 出自を知る権利が問題になったことによって、提供者側の理解も重要との認識が広まった。長沖さんは「過去の歴史の証言者として、他の提供者も当時の状況を説明してほしい」と話している。 * * AIDに関する情報を共同通信・生殖医療取材班、science@kyodonews.jpまでお寄せください。