【動画】京橋駅空襲から69年、駅近くで慰霊祭。当時知る人「終戦あと1日早かったら」/大阪
大阪市城東区の旧国鉄京橋駅に多数の1トン爆弾が落とされた500~600人が犠牲となった「京橋駅空襲」から69年となる14日、JR京橋駅の南口近くの高架下にある慰霊碑前で「第60回京橋駅空襲被災者慰霊祭」が行われ、当時を知る人や遺族などが手を合わせた。
1945年8月14日に京橋駅空襲、500~600人犠牲に
京橋駅慰霊世話人会によると、1945年(昭和20年)年8月14日、アメリカ軍の爆撃機B29が大阪城の敷地内にあった兵器工場「大阪陸軍造兵廠(しょう)」の爆撃を開始。そして同日午後12時半ごろ、大阪城からも近い京橋駅に天王寺・大阪両駅行きの電車が進入したところで数個の1トン爆弾が落とされたという。 この爆撃によって、当時駅にいた500~600人の命が奪われた。1947年に京橋駅に慰霊碑が建てられ、1955年から毎年爆撃のあったこの日に慰霊祭が行われている。今年で60回目を迎えた。 慰霊碑は、地域の人たちによって常に磨かれるなど手入れが施され、大切に守られてきているという。
祈る女性「終戦があと1日早かったら」
慰霊祭では、当時、京橋駅に入る電車に乗車し九死に一生を得た同世話人会会長で元大阪府議会議長の京極俊明さん(83)が「あのいまわしい8月14日がまたやってまいりました」とあいさつ。 当時を振り返り「第2次大戦の終戦の時に生まれた方は70歳。兵器工場に落とされた爆弾のうち、何トンかが京橋駅に落とされたと聞いている。亡くなられた皆様は、まさかここへ爆弾が落ちるなんてと思ったでしょう」と話した。 慰霊祭には、多くの遺族らが訪れ、被災者に祈りをささげた。通りすがりに手を合わせていた女性(80)は「いつも慰霊碑の前を通る時に手を合わせてる。いつも思う、終戦があと1日早かったらなあて。この空襲のことを、次の世代へもちゃんと伝えていかなあかん」などと話していた。 また、参列していた男性(75)は「ここで空襲があったことを知らない方も多い。いまは夏休みで、駅周辺では楽しそうにすごす子どもさんらの姿もあって。けど、この場所で69年前にこれだけ悲惨なことがあったことを知ってほしいし、この慰霊祭も見てほしい」などと話していた。 慰霊碑は京橋駅南口を出てすぐ右の高架下、同市城東区と都島区の境界付近に位置する。