京都文化博物館で開催中「世界遺産 大シルクロード展」が興味深い 1日に千里駆ける「汗血馬」とは
ユーラシア大陸を横断する東洋と西洋を結ぶ重要な交易路「シルクロード」。古代から多くの文物や人が往来するルートとして栄え、文化が多彩に華開いた。ひとえにシルクロードといっても、草原を通る道やオアシスをつなぐ道、海路など複数のルートが存在する。今回、京都文化博物館(京都市中京区)で開催中の日中平和友好条約45周年記念「世界遺産 大シルクロード展」(京都新聞など主催)では「長安-天山回廊の交易路網」にまつわる美術品が展示されている。 【写真】暴れ出しそうな馬が描かれた壁画「献馬図」(京都市中京区・京都文化博物館) ■漢・武帝が汗血馬渇望、西域へ熱視線 2014年に世界遺産に登録された「長安-天山回廊の交易路網」は、シルクロードの主要な道の一つ。昔から民間の交易では使われてきた道だったが、前漢の皇帝・武帝(紀元前156-前87年)が中国の王朝として初めてシルクロードの「経営」に乗り出した。武帝は「郡」を置いて役人を配置し、西域への勢力を拡大。東西の交流はより深まっていった。 当時、漢はモンゴル草原に住む騎馬民族・匈奴(きょうど)に圧迫されていた。武帝は匈奴を駆逐するため、中央アジアの大月氏(だいげっし)国と同盟を結ぼうと将軍・張騫(ちょうけん)を西方に派遣した。出発の様子を描いた「張騫出使西域図 模写」も会場に展示されている。張騫は数々の苦難を経て大月氏国にたどり着いたものの、同盟の締結に失敗。だが、張騫はこの旅で未知の世界だった西域の情報を多く持ち帰り、武帝に伝えた。 その一つが大宛国で見た「汗血馬(かんけつば)」だった。1日に千里を駆けるとされ、疾駆すると血のような汗を流すためにこのような名前が付いたとされる。武帝は何としてでも汗血馬を手に入れようと、大宛国に軍を差し向け、数千頭の汗血馬を手に入れた。 ■暴れそうな馬にいななく馬も 大シルクロード展には、たくさんの「馬」が登場する。666年に描かれたと見られる壁画「献馬図」は、暴れ出しそうな馬とそれを押さえる異国人が描かれている。1~3世紀の「車馬儀仗隊(ぎじょうたい)」はシルクロードの入り口を出発する行列を表したとされる。大きく口をあけていななく様子は「汗血馬」をほうふつとさせる。ぜひ、「馬」にも注目してみて欲しい。