映画「ジョーカー2」エンタメ業界の「腐敗」も描く トッド・フィリップス監督インタビュー【ネタバレ要素あり】
都会の片隅でピエロメイクの大道芸人をしながらコメディアンを夢見るアーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)が、社会の理不尽と孤独にさらされ、悪のカリスマ“ジョーカー”へと変貌を遂げるまでを描いた『ジョーカー』(2019年)。その続編にして完結編となる『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』(通称「ジョーカー2」)が公開中だ。 【動画】「ジョーカー2」賛否レビューと新映像で構成された映像 物語は、前作から2年後。ジョーカーことアーサーは、テレビの生放送中に司会者のマレー・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ)を殺害した罪などに問われ、アーカム州立病院に収監中。ある日、病院内で謎の女性リー(レディー・ガガ)と出会い、恋に落ちる。そして、裁判が始まり、その模様は全世界に中継されていく。裁かれるのは、時代の寵児となった悪のカリスマ・ジョーカーなのか、それともただの人間アーサーなのか? ■「ジョーカー」シリーズは2作とも「悲劇」 ――以前、「どんな映画を作るにしても、世界で起きていることの影響を受けざるを得ない」とおっしゃっていたのですが、今作に最も影響を与えたことは? 【トッド】世の中にはさまざまな形で「腐敗」が存在しています。具体的には、僕たちの映画では、司法制度や刑務所制度の腐敗、そのほかの社会的な腐敗が描かれています。でも、実際に強く影響を受けたのはエンターテインメント業界の腐敗です。 特にアメリカでは、殺人犯の裁判がテレビでエンターテインメントとして放映されています。大統領候補の討論会さえ、プロレスの試合のように売り込まれているんです。すべてがエンターテインメントになったとき、エンターテインメントはどうなるだ?という危機感がありました。 冒頭のカートゥーン(アニメーション)も、それを表現したものです。テレビ司会者マレー・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ)を生放送中に殺したジョーカーのような凶悪犯であっても、こうしたカートゥーンになってしまったりするという状況を描いています。 ――ミュージカル、法廷劇、毒のあるラブストーリーなど、さまざまなエンターテインメントが含まれていますね。 【トッド】僕にとって、それがまさに映画作りの醍醐味です。つまり、いつも一つの要素に絞るわけではありません。この映画は、僕がこれまでに手がけてきたものとは異なる作品であり、だからこそ挑戦的でした。ホアキンや(リー役の)レディー・ガガにとっても同じことが言えると思います。 正直に言えば、脚本を書き始めたときには、この映画にこれほど多くの音楽が入るとは思っていませんでした。ミュージカルにしようと思って書き始めたわけでもないんです。ストーリーを書いていく中で、自然と音楽が出てきました。 ――俳優たちに「歌やダンスをやる」とどうやって説得したのですか? 【トッド】ホアキンは挑戦が大好きです。もしこの映画が、普通の続編のような展開だったら、彼は参加しなかったでしょう。彼は1作目のように、失敗するかもしれないという不安を感じる作品に挑戦したいんです。だから、僕はただ彼にその挑戦を提示しただけです。それが説得の方法でした。 ――「ジョーカー」においてジャンルは重要ですか? 【トッド】いいえ、ジャンルはあまり重要ではありません。僕はこの映画を「悲劇」だと思っています(笑)。音楽が入っている悲劇です。「ミュージカルではない」と言ったことがありますが、その意味は、「ミュージカルのように、観終わった後に幸せな気持ちになる映画ではない」ということです。この映画では、観客が曲を口ずさみながら映画館を出るようなことはないでしょう(笑)。ジャンルの話は、あくまで映画を分類するためのものであり、僕にとってはそれほど重要ではありません。両方の作品を、悲劇として見ているからです。