秀吉の中国大返しは偶然ではない…驚異の段取り力で信長が討たれるストーリーを想定し情報網を張っていた説
■柴田勝家を討つため、大軍を時速10kmで動かしたとされる この大返しは1万5000人の軍勢が52kmの距離をおよそ5時間で移動したといわれます(諸説あり)。道中の村々には秀吉軍から使者を送り、食料と松明(たいまつ)を用意するように命じたのです。 こうした段取りのよさで、秀吉軍は5時間で近江の戦場に戻ることができました。 想定以上の速さで戻ってきたことに勝家軍は驚き、退却を始めましたが、陣形が崩れていたこともあり、秀吉軍の攻撃の前にあっけなく敗れ去りました。 柴田勝家は居城の北庄(きたのしょう)城(福井市)まで戻りますが、秀吉軍にとり囲まれ、自刃を余儀なくされました。 これで秀吉は、織田信長の後継者の地位を確かなものにしたのです。 この美濃大返しでも、早期に勝家軍の侵攻を把握した情報収集力と、近江までの移動を円滑に行った段取り力を発揮しました。中国大返しでの成功を活かしたともいえます。 歴史にご法度の「もしも」の話ですが、中国大返しと美濃大返しがなかったら、その後の歴史はかわっていたかもしれません。 もし中国大返しがなければ、明智光秀は織田家重臣不在の間隙(かんげき)を縫(ぬ)って畿内周辺を支配し、織田家の重臣たちとの戦いに備えたでしょう。その後、明智が天下統一できたかどうかは未知数ですが、混乱が長引いた可能性は高いです。 一方、もし美濃大返しがなければ、勝家軍は秀吉不在の秀吉軍を壊滅させ、秀吉が戻ってきたとしても逆転勝利はできなかったかもしれません。そうすると秀吉による天下統一は、なかったでしょう。 いずれもスピード感ある行動が、豊臣秀吉の天下統一につながっていったのです。 ■長時間労働が許されない現代で急ぎの仕事の武器になること 私が社会人になった25年ほど前は、スピード感が求められる仕事については、残業しながら長時間働くことで、なんとかやり遂げていました。 過労死問題がとり沙汰され「働き方改革」が進んだいまとなっては、けっして褒められることではありませんが、終電を逃して何度も徹夜したことがあります。それが特段おかしなことでもない空気もありましたし、むしろ勤勉さを示す武勇伝的な側面さえあったかもしれません。 しかし、もはや法律に背くような長時間労働は、厳しく制限されるのが常識になっています。2018年に公布された「働き方改革関連法」では、残業時間の上限は原則として月45時間(年360時間)と定められています。