【Bリーグ】ありがとう!NICK THE LAST ~ニック・ファジーカス引退試合~(後編)
頭ではまだ続けたい、でも体はもういっぱいいっぱい
ありがとう!NICK THE LAST ~ニック・ファジーカス引退試合~(前編)より続く 12年前、日本にやって来たニック・ファジーカスをはじめて見たのも、ホームのとどろきアリーナだった。その前年、2011-12シーズンの東芝ブレイブサンダースは8勝(32敗)しかできず、最下位に終わった。再起を果たすべく、得点力を期待して迎えたのがニックである。しかし、ヒョコヒョコと走る大男の姿は、不安しかない。その後、手術を受けたことや今では見慣れたのもあるが、来日当初は今以上に違和感のある走り方だった。そのまま倒れ込むのではないか、または足を捻ってしまうのではないかと心配してしまうほどである。 しかし、その不安や心配はすぐさま払拭し、期待どおりの活躍を見せる。ブロックされることもほぼないのに、ヒョイッと決めるフローターは代名詞。センターはペイントエリアが仕事場だった時代に、ポップして華麗な3ポイントシュートを量産。いきなり得点王に輝いた。日本特有のアップテンポなバスケスタイルにも大きな歩幅でアジャストし、2シーズン目のNBL2013-14では天皇杯優勝とともに2冠達成。東芝~川崎の国内リーグだけに留まらず、日本国籍を取得してくれたおかげで日本代表として世界も驚かせた。 NBL2連覇、天皇杯優勝4回、Bリーグで頂点に立つことはできなかったが地区優勝は2回を誇る。4度の得点王、Bリーグ元年(2016-17シーズン)には栄えあるMVPを受賞。そんなニックは来日当初から、「このまま東芝でプレーし続けたい」と公言していた。その後、Bリーグ 2017-18シーズンに2000点を記録したときも、「このままプレーし続け、川崎で引退したい」という言葉どおりに、来日から12年間を全うしてきた。 完全プロ化したBリーグ時代を迎えた今、最低60試合を行い、世界に追いつくために強度が上がり、アスレティックな外国籍選手がこぞってやって来る。12年前の試合数や強度であれば、まだまだ現役を続けられたかもしれない。しかし、ニック自身は環境の変化によって「引退が早まったとは思っていない」と述べ、あらためてユニフォームを脱ぐ決断について語ってくれた。 「ここまで成功できたのは、夏のオフシーズンに取り組んで来た自主トレーニングのおかげ。毎年毎年何か1つでも上手くなって日本に戻って来るという貪欲さがあったからこそ、12年間続けられました。でも、体が少しずつ痛んできたり、疲れが抜けなかったり、やっぱり衰えも感じていました。BリーグのCS(日本生命 B.LEAGUE CHAMPIONSHIP 2023-24)を見ているとき『まだいけるんじゃないか』、妻にも『まだバスケをやりたいかもしれない』と話す瞬間も、もちろんありました。でも、引退試合をしてみて、やっぱり体にガタが来ているのを感じました。頭ではまだ続けたい、でも体はもういっぱいいっぱいという状況です。時の流れには勝てないと良く言いますが、僕にもそれが適用されるんだな、と思いました。オフシーズンを迎えるにあたり、これまでのような貪欲に新しいことに取り組む意欲がなくなりました。今はもう体も心も達成感に溢れており、現役を続けるためのタンクが空っぽになってしまったと思います。でも、ここまで全力でやり切ることはできました」