暗闇の街に届いたラジオ。“ぼろぼろの私”を救った見えないつながりと「くるり」との縁 #知り続ける
地元のことを、ずっと好きになれなかった。大好きなアーティストは演奏に来ないし、趣味の合う友達も多くない。いつか飛び出したいと思っていた。高校入学直後に出会ったラジオ番組だけが唯一、心安らげる居場所だった。 宮城県石巻市の阿部朋未さん(29)は13年前、津波で自宅が流された。発生から3日後。停電が続く真っ暗な街の片隅で、ラジオをつけた。 「僕たちの声は、君に届いていますか?」 耳になじんだパーソナリティーの声は、暗闇にさした光だった。多感な時期に震災が重なり、ずっと悩み苦しんできた。それでも心が灰色一色に染まらなかったのは、ラジオを通してありのままの私を受け止めてくれる人たちと出会えたから。 駆け出しの写真家として全国を飛び回る今、自分の街を前よりいとおしく思える。そして、「あの頃の自分」みたいな子に、伝えたいことがある。 【写真まとめ】「くるり」の佐藤征史さんと阿部朋未さん
あの日、心に届いたラジオ放送
余震が続く夜、高校1年生だった阿部さんは、使い慣れたラジオ付き携帯オーディオプレーヤーのイヤホンを耳に入れた。 2011年3月14日。聞き慣れた地元ラジオ局に周波数を合わせる。 地震、津波、そして原発事故と、臨時編成のニュース番組が耳に響いた。「さすがに流れないだろうな」。そう思った午後10時のことだ。 「みんな、待たせたな。大丈夫か? 僕達の声は、君に届いていますか?」 停電が続く暗闇の中、聞こえてきたその声が、心に光をともした。「助けに来てくれたんだ……」。こらえていた涙が、一気にあふれた。 その夜の放送を、お笑いトリオ「グランジ」のメンバーで、番組パーソナリティーの遠山大輔さん(44)も鮮明に覚えている。当時は毎週、平日の午後10時、東京・半蔵門のTOKYO FM(エフエム東京)から生放送するラジオ番組「SCHOOL OF LOCK!」(スクールオブロック)でマイクに向かっていた。 「ラジオの中の学校」がコンセプト。パーソナリティーは「先生」、リスナーを「生徒」と呼ぶ距離の近さから、中高生を中心に今も人気を集める。当時は2代目メインパーソナリティー「とーやま校長」として出演し、間もなく1年を迎えようとしていた。 震災が発生した3月11日は金曜日で、番組は休止になった。月曜日になり、伝えられる震災や原発事故の被害は深刻の度を増していた。「今日も放送はないか」と思ったが、スタッフから当日「生放送でいきます」と連絡があった。 避難所などで眠れぬ夜を過ごすリスナーもいるだろう。遠くから被災地に心を寄せる人もいるだろう。何をしゃべればいいのか。不安は大きく、「正直、めちゃくちゃ怖かった」。 あの夜の放送を、後になって聞き直したことがある。聞こえてきたのは、いつもの自分よりも力の入った大きな声。「届けたい気持ちと、自分を奮い立たせたい思いがあったんだと思う」