大谷翔平が多くの日本人を喜ばせる「日本の孝行息子」となるまで
メジャーリーグ、ロサンゼルス・ドジャース大谷翔平の連日の活躍が日本人を喜ばせている。MLBを観察し、取材してきたライターの内野宗治氏はその圧倒的な力でさまざまな障壁や閉塞した世界を変えた「ゲームチェンジャー」だと評する。そんな大谷だが、もし高校卒業後、18歳で本人の当初の希望どおり、メジャーリーグの門を叩いていたら、現在の活躍を遥かに超えた選手になったかもしれない…… ※本稿は、内野宗治著『大谷翔平の社会学』(扶桑社新書)の一部を抜粋、再編集したものです。 ⇒ファイターズが公開した大谷へのプレゼンテーション資料の一部
もし大谷翔平が18歳でメジャーリーグに渡っていたら変わっていたもの
2023年の侍ジャパンに選ばれた日系アメリカ人選手(ヌートバー=セントルイス・カージナルス)、アメリカで生まれ育っち、MLBを経由して日本球界でプレーする日本人選手(加藤豪将=北海道日本ハムファイターズ)、日本球界を経てMLBで活躍する外国人選手(マイコラス=元巨人、現セントルイス・カージナルス)。グローバル化した今日の世界における多種多様なプロ野球選手のキャリアを見ていると、改めて大谷について考えてしまうことがある。 もし大谷が18歳のときに「高校卒業後、すぐにアメリカへ行く」という当初の意志を貫き、北海道日本ハムファイターズのドラフト1位指名を蹴って渡米し、他のアメリカ人選手や中南米の選手らと同じようにマイナーリーグで修行を積んだ後にメジャーで今のような大活躍を見せていたら、僕ら日本人は今と同じくらい大谷に熱狂できたのだろうか? あるいは、もし大谷が加藤のようにアメリカに生まれ育ち、流暢な英語を話すバイリンガルで、もちろん日本の高校野球などは一切経験しないまま、メジャーで今のような大活躍を見せていたら?
高3ですでに160kmの剛速球を投げ、アメリカから注目されていた大谷
大谷は花巻東高校の3年生だった2012年、すでに160㎞の剛速球と特大ホームランでMLBのスカウトから注目を集めており、高校卒業後はすぐに渡米してMLBでプレーしたいと明言していた。それゆえNPB(日本プロ野球機構)の各球団はドラフトで大谷の指名を見送ると目されていたが、北海道日本ハムファイターズが大谷をドラフト1位で強行指名した。選手本人の意向がどうあれ「その年の最も優れたアマチュア選手をドラフト1位で指名する」という球団の方針を貫いたのだ。 大谷は当初、ファイターズのドラフト指名に驚き戸惑っていた。ファイターズに指名はされたが、「今すぐアメリカに行きたい気持ちは変わらない」とも述べていた。しかし、ファイターズは球団を挙げて粘り強く大谷を説得した。過去のデータをもとに、NPBを経ずに直接メジャーを目指すことは「リスク」が大きすぎること、MLBではまず認められないであろう「二刀流」へのチャレンジをファイターズは認めること、さらにはアメリカで日本人のガールフレンドをつくるのがいかに難しいか、といった話までして、高い志を持つ18歳の青年を日本にとどめることに成功した。 大谷に高校1年生のころから注目し、相思相愛の関係を築いていたロサンゼルス・ドジャースは、ファイターズの「横取り」に怒った。しかし、いずれにせよ大谷はファイターズ入りを決意。日本でプロ野球選手としてのキャリアをスタートすることになったのだ。