「そろそろウクライナが停戦を決断すべき」は絶対おかしい…小泉悠「この戦争から日本人が学ぶべきこと」
■ウクライナ戦争から日本人が学ぶべきこと フェイクニュースへの耐性を身につけることは、安全保障の観点でも重要なトピックです。現代の戦争においては、人間の脳も戦場の一種として捉えられています。メディアやSNSを通じて、人々の認知領域に働きかけ憎悪を煽って社会の分断や国家の混乱を引き起こす、いわゆる「認知戦」が実践されているのです。典型例はロシアによる介入が報告された2016年のアメリカ大統領選挙。銃所持や妊娠中絶など争点になりやすいトピックについて、賛成・反対、両方の意見を先鋭化させるような大量の政治広告が、ロシアによって仕掛けられたとされています。対立を煽るトピックそのものは重要ではなく、選挙が公正に行われなかったというイメージや、国家への不信を国民に植え付けられればいいのです。 日本は認知戦を仕掛けられやすい状況にあると感じています。インターネットの登場以降、インパクトのある強い言葉ほど真実味があるように受け入れられる風潮や、ヘイトをあけすけに語る露悪主義が社会に息づき、怒りや憎悪を煽ることがコンテンツの一種として成立してしまっています。認知戦の火種は、外から持ち込まれるのではありません。私たちが内側に抱え、今後も付き合っていく問題です。 「日本人は平和ボケしている」という人もいますが、私はそうは思いません。ウクライナにもガザにも関心が低く冷淡な国が多い中で、日本人はこの2つの戦争に熱心に関心を持ち続けていると感じます。ただし、具体的な安全保障の戦略についてはまだ議論が不足していると言わざるをえません。 ウクライナ戦争から日本が学ぶべきことは多くあります。まず一つは、核抑止の威力です。核兵器を持っている大国同士では戦争が起こりにくいことが明らかになりつつあります。しかし、大国がお互いを直接攻撃できないことにより、通常兵器を使った地域レベルの戦争リスクはかえって高まる。これが「安定・不安定パラドックス」です。 たとえば、アメリカが直接介入をしない状況は武力によってウクライナを属国にしようと企むロシアにとって好都合でした。東アジアにおいても同じようなことは起こりえます。中国がアメリカが介入してこないことを見越して大胆な軍事行動を起こすかもしれません。日米安全保障条約があるとはいえ、このことを、日本は重い教訓として受け止めるべきです。 より大局的には、ウクライナ戦争の結果が、世界が動乱の時代を迎えるか否かの大きな分かれ目になると見ています。21世紀に入ってから、過去に起きた2度の世界大戦ほど大きな戦争はまだ起きていないものの、戦場において虐殺や性的暴行は変わらず起きていることを踏まえると、人間の本質はいいところも悪いところも変わっていないのかもしれません。ただ、人類の歴史は悪い本性を表に出さないように努力を積み上げてきた歴史でもあります。戦争は、残念ながらこれからもなくならないでしょう。それでも、「人間は所詮こんなもの」と冷笑するのではなく、戦争をしなくてすむ世界に向けて努力を続けるべきだと思います。 ※本稿は、雑誌『プレジデント』(2024年10月18日号)の一部を再編集したものです。 ---------- 小泉 悠(こいずみ・ゆう) 東京大学先端科学技術研究センター准教授 1982年、千葉県生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了。ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所客員研究員、未来工学研究所客員研究員などを経て、2022年1月より現職。ロシアの軍事・安全保障政策が専門。著書に『「帝国」ロシアの地政学』(東京堂出版、サントリー文芸賞)、『現代ロシアの軍事戦略』(ちくま新書)、『ロシア点描』(PHP研究所)などがある。 ----------
東京大学先端科学技術研究センター准教授 小泉 悠 構成=水嶋洋大